国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
内子座
ふりがな
:
うちこざ
棟名
:
棟名ふりがな
:
内子座 外観
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員数
:
1棟
種別
:
近代/文化施設
時代
:
大正
年代
:
大正5
西暦
:
1916
構造及び形式等
:
正面20.1m、側面27.5m、一部二階、入母屋造、正面軒唐破風付、妻入、正面両翼突出部切妻造、西面南端茶風呂寄棟造、西面北端便所切妻造、西面下屋庇付、桟瓦葺、正面下屋庇付、鉄板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
2632
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2015.07.08(平成27.07.08)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(三)歴史的価値の高いもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
愛媛県
所在地
:
愛媛県喜多郡内子町内子二一〇二番
保管施設の名称
:
所有者名
:
内子町
所有者種別
:
市区町村
管理団体・管理責任者名
:
内子座 外観
解説文:
詳細解説
内子は,明治時代を通じて製蝋業や製紙業で繁栄した。内子座は,大正天皇即位を記念し,町民の娯楽を目的として大正5年に建てられた。木造,一部二階建で,正面軒唐破風付の入母屋造屋根,大棟には太鼓櫓を載せ,両脇に切妻造屋根の突出部を附属する。小屋はトラス組とし,内部は伝統的な和風芝居小屋のつくりで,二階向正面の桟敷に枡の仕切りを設けるのは近代的である。内子座は,部分的な欠失があるものの,主要部がよく残っており,地方の産業町に残る文化施設として貴重である。正面性を強調した外観,トラスの架構や採光のガラス窓の多用,正面からの舞台鑑賞を意識した客席など,芸能に適応しはじめた近代過渡期の芝居小屋として,高い歴史的価値を有している。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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内子座 外観
内子座 舞台と客席
内子座 舞台と客席北西
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内子座 外観
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内子座 舞台と客席
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内子座 舞台と客席北西
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解説文
内子は,明治時代を通じて製蝋業や製紙業で繁栄した。内子座は,大正天皇即位を記念し,町民の娯楽を目的として大正5年に建てられた。木造,一部二階建で,正面軒唐破風付の入母屋造屋根,大棟には太鼓櫓を載せ,両脇に切妻造屋根の突出部を附属する。小屋はトラス組とし,内部は伝統的な和風芝居小屋のつくりで,二階向正面の桟敷に枡の仕切りを設けるのは近代的である。内子座は,部分的な欠失があるものの,主要部がよく残っており,地方の産業町に残る文化施設として貴重である。正面性を強調した外観,トラスの架構や採光のガラス窓の多用,正面からの舞台鑑賞を意識した客席など,芸能に適応しはじめた近代過渡期の芝居小屋として,高い歴史的価値を有している。
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詳細解説
内子座 1棟 内子は、松山と大洲を結ぶ大洲街道に位置し、大洲藩六万石の領地であった。水運を利用した物資の集散地、金毘羅参詣や四国遍路などの交通の要衝であったが、江戸時代後期より和紙や木蝋の生産が盛んで、江戸末期から明治時代を通じて製蝋業や製紙業で大いに繁栄した。 大正四年、大正天皇の即位を記念し、中田鹿太郎をはじめとする一七名の地元有志発起人により「大典紀念株式会社内子座」が創設された。内子座は、この「大典紀念株式会社内子座」により、町民の娯楽を目的として大正五年に建てられた芝居小屋である。年代は二枚重ねで小屋束に打たれていた棟札によるが、この棟札二枚を附指定とする。所在地は、内子町八日市護国伝統的建造物群保存地区の南西方、市街地中心部にある。敷地の南辺と東辺及び北辺が街路であって、南面して建つ。設計は松山市の長曽雄憙、大工棟梁は大洲の西岡暹であった。 内子座は、大正五年二月二一日に落成し、翌二二日の人形芝居吉田傳治郎一座によるこけら落としを皮切りとして、歌舞伎や芝居が興行され、映像鑑賞や講演会などにも用いられてきた。しかし、興行不振によって昭和四二年に株式会社内子座が解散、内山商工会の所有となり、内山商工会館として事務所及び映画や宴会の会場として用いられた。昭和五七年に内子町へ寄附されると、内子座は、同年九月二九日付けで内子町の有形文化財に指定された。翌五八年より修理事業に着手、同六〇年に完了し、その後若干の整備を経て、現在に至っている。 建物は木造、一部二階、正面約20.1m(一一間)、側面約27.5m(一五間)の規模である。屋根は正面軒唐破風付の入母屋造で下屋庇を付け、背面が切妻造の妻入、大棟の正面寄りには入母屋造の太鼓櫓をつくり、ほぼ中央部には換気の小屋根を設ける。正面両端の突出部は正面に妻を向けた切妻造である。全体は桟瓦葺、正面庇が鉄板葺である。西側面には平屋建で茶風呂、外廊下、道具部屋、役者便所及び便所が附属している。基礎はコンクリート造の布基礎、外壁は漆喰仕上げ真壁造で、正面と両側面には引違いのガラス戸を多用し、軒桁は柱頂部に舟肘木を据えて受ける。正面妻の中央には登り藤に内の字の漆喰飾をつけ、太鼓櫓には洋風の避雷針を設ける。小屋組は中央の客席部の上をキングポストトラス、両側の桟敷席部の上を登梁式とする。 一階は、正面側から三間分を中央木戸先、その左右の突出部を下足場とする。これに続く七間分を客席部、その奥五間分を舞台とする。当初は舞台の背面に楽屋が附属していたが、現在は失われている。客席部は傾斜床とし、側廻りに鳥屋のある本花道(西側)、仮花道(東側)、桟敷席及び通路を設ける。本花道の床下には地下道があり、中央舞台寄りにセリ上がりのスッポンを装置する。客席部と周囲の境には円柱を立てる。舞台中央には直径約八・二メートルの廻り舞台を設け、床下は玉石積みの奈落とし、花道下の地下道に連絡する。廻り舞台の両側には網元、義太夫席、楽屋及び大道具置場を配している。上方には竹で組んだぶどう棚が残るが、昭和修理で鉄骨フレームが設置されている。 二階は、南側を三段の桟敷席と通路、客席上部の東側と西側を桟敷席、正面両端の突出部は八畳の和室とする。二階桟敷で特徴的なのは、上手側(東側)に枡の仕切りがなく、向う桟敷の最前列に枡の仕切りを設けていることで、場内の最高級席は上手ではなく舞台の正面と意識していたことを示している。内部は全体的に伝統的な和風芝居小屋のつくりになり、客席部天井は折上格天井、周囲は棹縁天井とし、建設当初から電気照明を備えていた。ただし、当初の照明器具は失われており、現在のシャンデリアは昭和修理で整備されたものである。 内子座は、部分的な欠失があるものの、主要部がよく残っており、近代に製蝋業や製紙業で繁栄した地方の産業町に残る文化施設として貴重である。全体として近世以来の伝統的な形式を継承しつつ、正面性を強調した外観、トラスの架構や採光のガラス窓の多用、さらに正面からの舞台鑑賞を意識した客席など、芸能に適応しはじめた近代過渡期の芝居小屋として歴史的価値が高い。 【参考文献】 『芝居小屋 内子座 八〇の年輪』(内子町町並保存対策課 一九九五年) 『愛媛県の近代化遺産 近代化えひめ歴史遺産総合調査報告書』(愛媛県教育委員会 二〇一三年) 『内子座調査検討委員会 調査報告書』(二〇一五年)
関連情報
附指定
棟札
関連情報
附指定
附名称
:
棟札
附員数
:
2枚