国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧網走刑務所二見ヶ岡刑務支所(二見ヶ岡農場)
ふりがな
:
きゅうあばしりけいむしょふたみがおかけいむししょ(ふたみがおかのうじょう)
棟名
:
庁舎
棟名ふりがな
:
ちょうしゃ
旧網走刑務所二見ヶ岡刑務支所 外観(南東から見る)庁舎(手前)、炊場(奥)
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員数
:
1棟
種別
:
近代/官公庁舎
時代
:
明治
年代
:
明治29
西暦
:
1896
構造及び形式等
:
木造、建築面積154.55㎡、北面渡廊下附属、鉄板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02635
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2016.02.09(平成28.02.09)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(三)歴史的価値の高いもの
重文指定基準2
:
(四)学術的価値の高いもの
所在都道府県
:
北海道
所在地
:
北海道網走市呼人三番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
公益財団法人網走監獄保存財団
所有者種別
:
法人
管理団体・管理責任者名
:
旧網走刑務所二見ヶ岡刑務支所 外観(南東から見る)庁舎(手前)、炊場(奥)
解説文:
詳細解説
旧網走刑務所二見ヶ岡刑務支所は,明治29年,北海道集治監網走分監の屈斜路外役所として,広大な土地で農業を行い自給自足を図るため開設された。昭和4年に網走刑務所二見ヶ岡刑務支所となり,平成11年博物館に移築された。施設は明治29年建築の庁舎,舎房,炊場と,大正15年に増築された教誨堂及び食堂,昭和5年の鍵鎖附着所からなる。全国でも珍しい農園を持つ刑務所の建築群で,当初に遡る主要建物を良く残し,特に舎房は明治中期に遡る獄舎建築として歴史的価値が高い。また一連の施設を残している点でも貴重で,刑務所の構外農園施設の発展過程をよく示しており,行刑史上高い価値が認められる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
旧網走刑務所二見ヶ岡刑務支所 外観(南東から見る)庁舎(手前)、炊場(奥)
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解説文
旧網走刑務所二見ヶ岡刑務支所は,明治29年,北海道集治監網走分監の屈斜路外役所として,広大な土地で農業を行い自給自足を図るため開設された。昭和4年に網走刑務所二見ヶ岡刑務支所となり,平成11年博物館に移築された。施設は明治29年建築の庁舎,舎房,炊場と,大正15年に増築された教誨堂及び食堂,昭和5年の鍵鎖附着所からなる。全国でも珍しい農園を持つ刑務所の建築群で,当初に遡る主要建物を良く残し,特に舎房は明治中期に遡る獄舎建築として歴史的価値が高い。また一連の施設を残している点でも貴重で,刑務所の構外農園施設の発展過程をよく示しており,行刑史上高い価値が認められる。
詳細解説▶
詳細解説
旧網走刑務所二見ヶ岡刑務支所(二見ヶ岡農場) 五棟 庁舎、舎房、教誨堂及び食堂、鍵鎖附着所、炊場 北海道網走市 公益財団法人 網走監獄保存財団 旧網走刑務所二見ヶ岡刑務支所(二見ヶ岡農場)の建物群は、現網走刑務所の南方の高台に所在する博物館網走監獄の、中心施設より離れた北東の高台に位置する。 網走刑務所二見ヶ岡農場は網走刑務所の構外農園施設で、網走刑務所から西に六キロメートルほど離れた、南に網走湖を望む位置に所在する。当施設は明治二九年、北海道集治監網走分監の屈斜路外役所として、集治監の過剰拘禁の緩和と農地開墾による自給自足を目的として開設された。大正一一年に網走監獄が農園設備特設刑務所に指定されたことに伴い「網走刑務所二見ヶ岡支所」となり、昭和四年「網走刑務所二見ヶ岡刑務支所」に改称した。昭和五年二月、網走刑務所農園訓練規定が定められると、服役態度に応じて処遇を改善し、仮釈放に至る段階的処遇制度の中間の訓練を担う重要な施設となった。その後昭和二九年に二見ヶ岡農場と改称し、現在に至る。 博物館にある建物群は平成九年の新庁舎建築まで使用され、平成一一年に現在地へ解体移築したものである。平成一七年七月一二日付けで「博物館網走監獄二見ヶ岡農場」として登録有形文化財となっている。 建物は南を正面として、手前に庁舎が、その北に教誨堂及び食堂、舎房が東西棟で並行して並び、渡廊下や洗面所で接続する。教誨堂及び食堂の西には鍵鎖附着所が鉤型に接続し、その東に炊場が東西棟で建ち、教誨堂及び食堂の南西隅に渡廊下で接続する。 各建物の建築年代は、庁舎、舎房、炊場が創建当初の明治二九年で、教誨堂及び食堂が大正一五年、鍵鎖附着所が昭和五年とみられる。明治二九年当時は教誨堂や食堂はなく、農作業のための構外泊込作業場として各建物が独立して建っていたが、大正以降施設の重要性が高まるとともに必要な建物を整えていった。大正一五年の教誨堂及び食堂建設に伴い各建物を渡廊下で接続し、庁舎もこの時に改築され、ほぼ現状の規模となった。 庁舎は、桁行一〇・九メートル、梁間七・二メートルの本体から北、西、東を突出させた小規模な洋風建築で、外壁は下見板張、屋根は寄棟造鉄板葺である。小屋組は本体はキングポストトラスだが、突出部は和小屋とする。平面は南面中央に玄関を付し、南北に廊下を通し、東に事務室、西に宿直室、休憩室を配する。事務室の西に部屋を突出させ、東も休憩室の一部と便所を突出させる。北は渡廊下を延ばす。床は中央廊下は煉瓦敷、他コンクリート土間で、天井は鏡天井で廻縁に繰形を施す。総じて簡素だが、玄関の妻飾りや窓上部の蛇腹、扉枠や天井廻縁に装飾を施す。 舎房は、桁行八一・〇メートル、梁間八・二メートル、外壁は下見板張、屋根は切妻造、鉄板葺で、中央に中央見張所を置き、東を第一舎、西を第二舎とする。現在は直列配置だが、当初は北にも舎房を延ばすT字形配置であった。中央見張所は床を板張、天井は鏡天井で、周囲に二重に蛇腹を廻らして折り上げ、壁は漆喰塗とし竪板張の腰壁を廻らす。舎房は中央を通路とする向い房で、六畳の広さの雑居房を各二〇房ずつ並べる。床は通路、房とも板張りで、各房の隅には便所用の枠を付す。通路と房の間の壁は中央を木製扉、両脇を断面を平行四辺形とした竪格子とし、上部に木製竪格子付の窓を付す。房の天井は鏡天井で、通路は高い位置に棹縁天井を張り、壁面から木鼻状に繰形を施した小屋梁端部を突出させる。小屋組は、中央見張所はキングポストトラスとし、第一舎はトラスと和小屋を組み合わせて中央を切り上げた小屋組で、第二舎は下弦材を連結しないクイーンポストトラスに似た形の小屋組とする。明治四五年建築の旧網走監獄舎房と比較すると、やや小規模である他は平面、構造などは概ね同じだが、小屋組を和小屋としたり、通路上部に逆Yの字の鉄筋の開き止めを用いないなど発展過程の特徴が見られる。 教誨堂及び食堂は、桁行四一・〇メートル、梁間一〇・九メートル、外壁は下見板張、屋根は切妻造、鉄板葺で、中央の通路を挟んで東を教誨堂、西を食堂とする。教誨堂は板敷の一室で、東の床を高めて舞台とし、背面から少し手前に壁を立てる。内部の壁は漆喰風仕上で、上下ガラス窓を並べ、竪板張の腰壁を巡らす。天井は漆喰風仕上で丸形の中心飾りや角型の換気口を配する。小屋組はクイーンポストトラスである。食堂は一室の土間で天井は棹縁天井とし、大きな角形の菱格子換気窓を二箇所設ける。窓は欄間付引違窓で外部に木製竪格子を付す。 鍵鎖附着所は、農作業に出入りする際に着替えや鎖の着脱を行う場所で、桁行二二・八メートル、梁間八・二メートル、二階建、南北棟の寄棟造、鉄板葺で、東面北寄りに平屋建、東西棟の切妻造、鉄板葺の検身場を附属する。外壁は下見板張である。平面は一階北を足洗場とし、中央に細長い足洗槽を据え、南は洗濯場とする。二階は北を雑品庫とし、南は東に廊下を付け北から衣服倉庫と居室二室を並べる。床は全面板張で、内壁は竪板張で頂部に明かり取り窓を廻し、天井は居室に棹縁天井を張る他はキングポストトラスを現しとする。検身場は板張の一室で、棹縁天井を張り、南西隅の一角を間仕切り、便所を設け、北西隅に鍵鎖附着所二階への階段を付す。 炊場は、桁行二〇・〇メートル、梁間九・一メートル、外壁は下見板張、屋根は切妻造、鉄板葺で小屋組はキングポストトラスとし、煙出しを大小二所付す。平面は東半を炊事場、西半はボイラー室を挟んで浴場とし、細長い浴槽を二箇所設ける。北面東端に渡廊下を附属する。 旧網走刑務所二見ヶ岡刑務支所は、全国でも珍しい農園を持つ刑務所の建築群で、明治二九年開設当初に遡る主要建物を良く残しており、特に舎房は明治中期に遡る獄舎建築として歴史的価値が高い。また教誨堂及び食堂、鍵鎖附着所など一連の施設を残している点でも貴重で、構外泊込作業場から段階的処遇制度の先駆的施設への発展過程をよく示しており、行刑史上高い価値が認められる。 【参考文献】 『博物館網走監獄移築復原事業「網走刑務所二見ヶ岡農場施設」』財団法人網走監獄保存財団、二〇〇二年 『博物館網走監獄登録有形文化財移築・改築工事調査報告書』特定非営利活動法人歴史的地域資産研究機構、二〇一四年