国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
龍光院書院
ふりがな
:
りょうこういんしょいん
棟名
:
棟名ふりがな
:
龍光院書院 外観(南東から見る)
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
員数
:
1棟
種別
:
近世以前/住宅
時代
:
江戸前期
年代
:
江戸前期、寛永(茶室)
西暦
:
1624-1643、1624-1643(茶室)
構造及び形式等
:
四畳半台目茶室(密庵席)、十畳、八畳、六畳、四畳半、三畳、八畳、広縁、
縁より成る、一重、寄棟造、こけら葺、水屋を含む
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00210
国宝・重文区分
:
国宝
重文指定年月日
:
1908.08.01(明治41.08.01)
国宝指定年月日
:
1961.04.27(昭和36.04.27)
追加年月日
:
2016.02.09(平成28.02.09)
重文指定基準1
:
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
京都府京都市北区紫野大徳寺町
保管施設の名称
:
所有者名
:
龍光院
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
龍光院書院 外観(南東から見る)
解説文:
詳細解説
この書院は、寛永年間(1624-1643)に建築された茶室の周囲に、慶安2年(1649)頃に広間などが増築されたもので、茶室は密庵席と名づけられている。この席は小堀遠州の好みと伝えられる四畳半台目のやや書院風の茶室であって、床の間が二つあり、その一つに密庵咸傑の書、もう一つに利休の添状をかける。江戸時代前期における茶室の代表的遺構である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
龍光院書院 外観(南東から見る)
写真一覧
龍光院書院 外観(南東から見る)
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
この書院は、寛永年間(1624-1643)に建築された茶室の周囲に、慶安2年(1649)頃に広間などが増築されたもので、茶室は密庵席と名づけられている。この席は小堀遠州の好みと伝えられる四畳半台目のやや書院風の茶室であって、床の間が二つあり、その一つに密庵咸傑の書、もう一つに利休の添状をかける。江戸時代前期における茶室の代表的遺構である。
詳細解説▶
詳細解説
龍光院書院 一棟 京都府京都市北区 宗教法人 龍光院 龍光院は、臨済宗大徳寺派大本山である大徳寺の塔頭の一つで、本山の南西側に境内を構える。慶長11年(1606)、黒田長政が父孝高(如水)の菩提のため、春屋宗園を開祖とし、江月宗玩を迎えて創建したもので、造営は同13年に完了したとみられる。また有栖川宮家祖の高松宮好仁親王が宗玩に帰依したことから、有栖川宮家の菩提所ともなった。その後、慶安2年(1649)頃に境内の再整備が行われ、昭堂、書院、寮及び小庫裏などが整えられた。 書院は、一重、寄棟造、こけら葺で、寛永頃(1624~1643)に独立して建てられた四畳半台目茶室(密庵席)の周囲に、慶安2年頃に広間や広縁が増築され、昭堂や寮及び小庫裏との一体化が図られた。建物の平面は前後二列の構成で、後列西端の密庵席と東側の六畳と四畳半、前列の床付の十畳、八畳二室、三畳、前面の広縁、北西面の縁や水屋からなる。 遠州好みとされる密庵席は、東面と北面に床を備え、密庵咸傑墨蹟及び千利休消息をかけるためのものとされ、細部手法、ことに西面の違棚に華美な趣がみられる反面、中柱と板袖壁には端正な手法がみられる。 【参考文献】 『国宝竜光院書院ほか二棟並びに京都府指定有形文化財(建造物)龍光院寮及び小庫裏修理工事報告書』龍光院、二〇一五年