国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
宇治上神社本殿
ふりがな
:
うじがみじんじゃほんでん
棟名
:
棟名ふりがな
:
宇治上神社本殿
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/神社
時代
:
平安後期
年代
:
平安後期
西暦
:
1086-1184
構造及び形式等
:
桁行五間、梁間三間、一重、流造、檜皮葺、内殿三社、各一間社流造
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00050
国宝・重文区分
:
国宝
重文指定年月日
:
1902.04.17(明治35.04.17)
国宝指定年月日
:
1952.03.29(昭和27.03.29)
追加年月日
:
重文指定基準1
:
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
京都府宇治市宇治山田
保管施設の名称
:
所有者名
:
宇治上神社
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
宇治上神社本殿
解説文:
詳細解説
宇治川を挟んだ平等院の対岸にある。創始は明らかでないが、平等院鳳凰堂の完成後、宇治に来訪する貴族の信仰も厚かった。本殿は外観が特異であるが、規模の違う一間社流造の内殿三棟を覆屋で囲んだ形式で、内殿は全国に普及した流造の典型。建立年代は細部の手法から12世紀前期と推定され、神社建築として最古の遺構である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
宇治上神社本殿
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宇治上神社本殿
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解説文
宇治川を挟んだ平等院の対岸にある。創始は明らかでないが、平等院鳳凰堂の完成後、宇治に来訪する貴族の信仰も厚かった。本殿は外観が特異であるが、規模の違う一間社流造の内殿三棟を覆屋で囲んだ形式で、内殿は全国に普及した流造の典型。建立年代は細部の手法から12世紀前期と推定され、神社建築として最古の遺構である。
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詳細解説
宇治上神社本殿 一棟 宇治上神社は宇治川をはさんで平等院と向かいあう小高い丘の麓にある。この境内から少し離れたところに宇治神社があり、古来この二社の創始についてさまざまの説が唱えられてきた。『延喜式』神名帳に載せる「宇治神社二座」をこの二社にあてる説、宇治上神社を本社または上社、宇治神社を若宮または下社と称し、両社を合わせて離宮社と呼ぶ慣習などがあった。創始は不明であるが、平等院鳳凰堂の完成(一〇五三)ののち宇治の地が貴族の参詣によってにぎわい、当社の社殿も整えられるようになったものらしい。当社の祭神は応神天皇、菟道稚郎子、仁徳天皇と伝える。 この本殿は一間社流造の内殿三棟を併立させ、これに覆屋をかけた形式である。その覆屋の側面と背面の壁と柱ならびに後流の屋根は、左右の内殿と共有されているので、内殿と覆屋は最初から一体のものと考えられていたことがわかる。しかし、中殿は左殿、右殿よりもひと回り小さく、すべてが覆屋のなかにおさまっている。内殿は三棟とも母屋の前に縁と階段を設けてその前に菱格子の戸を立て、さらに縁と階段を付加する。規模や細部は少しずつちがっており、向かって右の左殿の正面にある蟇股は左右二枚の板からなる古風な形式であって、三殿のうち最も古い建築とみてよい。 この本殿の建立年代は、細部の手法からみて左殿、中殿、右殿の順に古く、およそ十一世紀後半から十二世紀前半にかけての造営であって、流造の、また神社建築の最古の遺構である。 【引用文献】 『国宝大辞典(五)建造物』(講談社 一九八五年)