国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
東大寺金堂(大仏殿)
ふりがな
:
とうだいじこんどう(だいぶつでん)
棟名
:
棟名ふりがな
:
東大寺金堂(大仏殿)
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
江戸中期
年代
:
宝永2
西暦
:
1705
構造及び形式等
:
桁行五間、梁間五間、一重もこし付、寄棟造、本瓦葺、正面唐破風付、銅板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00057
国宝・重文区分
:
国宝
重文指定年月日
:
1898.12.28(明治31.12.28)
国宝指定年月日
:
1952.03.29(昭和27.03.29)
追加年月日
:
重文指定基準1
:
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
奈良県
所在地
:
奈良県奈良市雑司町
保管施設の名称
:
所有者名
:
東大寺
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
東大寺金堂(大仏殿)
解説文:
詳細解説
聖武天皇が創建した東大寺は、平安末期と室町末期の二度、焼失した。現金堂は宝永6年(1707)に落慶供養された三代目である。莫大な費用と工期を抑えるため、創建規模から桁行で4間縮めたが、梁間や高さは踏襲し、今なお世界最大の木造建築である。正面裳階を唐破風とし、柱を集成材にするなど、江戸時代の創意と工夫も伺える。
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(情報の有無)
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添付ファイル
なし
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東大寺金堂(大仏殿)
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東大寺金堂(大仏殿)
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解説文
聖武天皇が創建した東大寺は、平安末期と室町末期の二度、焼失した。現金堂は宝永6年(1707)に落慶供養された三代目である。莫大な費用と工期を抑えるため、創建規模から桁行で4間縮めたが、梁間や高さは踏襲し、今なお世界最大の木造建築である。正面裳階を唐破風とし、柱を集成材にするなど、江戸時代の創意と工夫も伺える。
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詳細解説
東大寺金堂(大仏殿) 一棟 東大寺は奈良時代において、古代日本の国家的事業として営まれた大寺であり、金堂はその中心をなす堂であって、盧遮那仏(国宝)を安置し、天平勝宝四年(七五二)に盛大な大仏開眼供養が行われた。金堂はその後治承四年(一一八〇)及び永禄十年(一五六七)の再度の兵火に罹って炎上した。二回目の火災の後大仏は久しく露仏のままであったが、僧公慶らの努力により再建され、宝永二年(一七〇五)に上棟、宝永六年(一七〇九)には落慶供養が行われた。これが現在の大仏殿である。 この大仏殿は創建当初に比べると、正面の長さを減じたのにかかわらず、側面の長さは昔のとおりとし、また高さもおよそ昔と同じとしたため、全体にやや高すぎる感じはあるが、正面五七メートル、側面五〇・五メートル、高さ四七・五メートルもあり、柱は木を寄せて作られ太さ一・四メートルにも及ぶ巨大な建築であって、木造としては世界最大級のものである。細部には鎌倉時代初頭に再建されたとき用いられた大仏様が採用されている。 【引用文献】 『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)
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棟札
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附名称
:
棟札
附員数
:
1枚