国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
法隆寺廻廊
ふりがな
:
ほうりゅうじかいろう
棟名
:
東廻廊
棟名ふりがな
:
ひがしかいろう
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
飛鳥
年代
:
飛鳥
西暦
:
593-709
構造及び形式等
:
折曲り延長四十二間、一重、本瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00024
国宝・重文区分
:
国宝
重文指定年月日
:
1899.04.05(明治32.04.05)
国宝指定年月日
:
1951.06.09(昭和26.06.09)
追加年月日
:
重文指定基準1
:
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
奈良県
所在地
:
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内
保管施設の名称
:
所有者名
:
法隆寺
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
法隆寺中門の両端を起点とする廻廊は、金堂・五重塔を囲み、経蔵・鐘楼を含めつつ大講堂まで達する。このうち当初部分は金堂・五重塔背後の屈折点までで、もとはここで東西に連結されて北面を閉ざしていた。現状のように拡張されたのは平安時代中期とみられる。
梁間は三・七メートルの単廊で、外側柱筋は出入り口を除いてすべて連子窓で閉ざし、内側は開放である。柱には飛鳥時代特有の胴張りをつけ、皿斗付の大斗、のびやかな肘木、木口を正面にみせる巻斗などが、金堂・五重塔と同じ様式で、建立年代の近いことを示す。全体が円弧状にゆるやかに反り上る虹梁もまた美しい。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
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解説文
法隆寺中門の両端を起点とする廻廊は、金堂・五重塔を囲み、経蔵・鐘楼を含めつつ大講堂まで達する。このうち当初部分は金堂・五重塔背後の屈折点までで、もとはここで東西に連結されて北面を閉ざしていた。現状のように拡張されたのは平安時代中期とみられる。 梁間は三・七メートルの単廊で、外側柱筋は出入り口を除いてすべて連子窓で閉ざし、内側は開放である。柱には飛鳥時代特有の胴張りをつけ、皿斗付の大斗、のびやかな肘木、木口を正面にみせる巻斗などが、金堂・五重塔と同じ様式で、建立年代の近いことを示す。全体が円弧状にゆるやかに反り上る虹梁もまた美しい。
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詳細解説
法隆寺廻廊 二棟 法隆寺中門の両端を起点とする廻廊は、金堂・五重塔を囲みながら北上ののちいったん東西に屈折し、さらに北転して経蔵・鐘楼を含めつつ大講堂に達している。このうち当初部分は金堂・五重塔背後の屈折点までで、もとはここで東西に連結されて北面を閉ざしていた。現状のように拡張されたのは平安時代中期とみられる。 ここでのなによりの特徴は、横長の金堂とそれより小さな正方形の五重塔とを左右に並列し、かつ堂塔と廻廊との間隔を均等に扱おうという意図から、南辺廻廊を中門から東は十一間、西は十間と長短をつけていることである。視覚的な均衡を考えた、心にくい配慮といえる。 梁間は三・七メートルの単廊で、外側柱筋は出入り口を除いてすべて連子窓で閉ざし、内側は開放である。柱には飛鳥時代特有の胴張りをつけ、皿斗付の大斗、のびやかな肘木、木口を正面にみせる巻斗などが、金堂・五重塔と同じ様式で、建立年代の近いことを示す。全体が円弧状にゆるやかに反り上る虹梁もまた美しい。 昭和五十七年に、七世紀中ごろと比定される山田寺廻廊(奈良県桜井市)が建築部材をともなって発掘され、直接比較できる好個の資料をえた。山田寺では、柱が短くしたがって建物の建ちが低いこと、連子窓の面積が小さく連子子が太いこと、長押が下のみの使用であることなど、法隆寺とはまたちがった面があり、当時の建築様式の多様性をうかがわせる。 【引用文献】 『国宝大辞典(五)建造物』(講談社 一九八五)