国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
法隆寺聖霊院
ふりがな
:
ほうりゅうじしょうりょういん
棟名
:
棟名ふりがな
:
地図表示▶
解説表示▶
員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
鎌倉後期
年代
:
弘安7
西暦
:
1284
構造及び形式等
:
桁行六間、梁間五間、一重、切妻造、妻入、本瓦葺、正面一間通り庇付、
向拝一間、檜皮葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00094
国宝・重文区分
:
国宝
重文指定年月日
:
1901.03.27(明治34.03.27)
国宝指定年月日
:
1952.11.22(昭和27.11.22)
追加年月日
:
重文指定基準1
:
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
奈良県
所在地
:
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内
保管施設の名称
:
所有者名
:
法隆寺
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
現在野聖霊院は、平安時代建立の聖徳太子をまつる仏堂を、弘安七年(1284)に全面的に建て替えられたものである。
切妻造、妻入の正面に広庇を設けた構成で、組物は正面平三斗、側面出三斗、軒を二軒繁垂木として仏堂らしく扱っている。内部は前二間を外陣(礼堂)、後方を内陣、脇陣、後陣に区画する。内陣には厨子をつくりつける。
聖霊院は聖徳太子をまつる仏堂として建てられたが、その平面形式や外観は、寝殿造の対屋を彷彿させるものがあり、当時の住宅を知るうえでも貴重な建築である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
現在野聖霊院は、平安時代建立の聖徳太子をまつる仏堂を、弘安七年(1284)に全面的に建て替えられたものである。 切妻造、妻入の正面に広庇を設けた構成で、組物は正面平三斗、側面出三斗、軒を二軒繁垂木として仏堂らしく扱っている。内部は前二間を外陣(礼堂)、後方を内陣、脇陣、後陣に区画する。内陣には厨子をつくりつける。 聖霊院は聖徳太子をまつる仏堂として建てられたが、その平面形式や外観は、寝殿造の対屋を彷彿させるものがあり、当時の住宅を知るうえでも貴重な建築である。
詳細解説▶
詳細解説
法隆寺聖霊院 一棟 聖霊院は、保安二年(一一二一)に東室の南端六間分を仏堂に改造して聖徳太子像をまつったの創めとするが、弘安七年(一二八四)に独立の仏堂として全面的に建て替えられた(『別当記』)。これが現在の聖霊院である。 切妻造、妻入の正面に広庇を設けた構成は保安創立時とかわらないが、梁間が四間から五間に拡張され、組物は正面平三斗、側面出三斗、軒を二軒繁垂木として仏堂らしく扱っている。庇は大面取の角柱を立て、角肘木で桁をうけ、一軒疎垂木をくばり、屋根は檜皮葺とする。正側面三方に高欄付の縁をめぐらし、蔀戸や格子戸を用いるが、これらの建具に鎌倉時代のものがありめずらしい。 内部は前二間を外陣(礼堂)、後方を内陣、脇陣、後陣に区画し、全面を拭板敷とする。内陣と外陣・脇陣との境は格子戸で仕切り、天井は外陣・脇陣を小組格天井、内陣を折上格天井とする。内陣には背面一杯に間口三間の厨子をつくりつける。厨子は建築的技法でつくられ、蟇股と唐破風は繊細で優美な曲線をもつ秀作として知られる。唐破風上の木造獅子口も最古の遺例である。 聖霊院は聖徳太子をまつる仏堂として建てられたが、その平面形式や外観は、寝殿造の対屋を彷彿させるものがあり、当時の住宅を知るうえでも貴重な建築である。 【引用文献】 『国宝大辞典(五)建造物』(講談社 一九八五年)
関連情報
附指定
棟札
関連情報
附指定
附名称
:
棟札
附員数
:
1枚