国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
瑠璃光寺五重塔
ふりがな
:
るりこうじごじゅうのとう
棟名
:
棟名ふりがな
:
瑠璃光寺五重塔
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員数
:
1基
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
室町中期
年代
:
嘉吉2
西暦
:
1442
構造及び形式等
:
三間五重塔婆、檜皮葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00098
国宝・重文区分
:
国宝
重文指定年月日
:
1903.04.15(明治36.04.15)
国宝指定年月日
:
1952.11.22(昭和27.11.22)
追加年月日
:
重文指定基準1
:
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
山口県
所在地
:
山口県山口市香山町
保管施設の名称
:
所有者名
:
瑠璃光寺
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
瑠璃光寺五重塔
解説文:
詳細解説
瑠璃光寺五重塔は、山口を本拠地として活躍した室町時代の守護大名・大内義弘(1356-1399)の死後、その弟の盛見が兄の菩提を弔って建立したと伝わり、大正4年に行われた解体修理の際に、嘉吉2年(1442)の墨書がみつかり、建築年代が明らかとなった。
檜皮葺の屋根は、軒の出が比較的深く、勾配が緩やかで、軒先が軽快に反り上がり、加えて三重目より上に縁と高欄を設けず、全体に細身でひきしまった姿が特徴的である。
初重の内部には心柱が通り、心柱を覆い隠すように円形の須弥壇を設け、天井を張る。円形の須弥壇は、塔では他に例がなく、仏堂を含めてもきわめて希少で独特なものである。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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瑠璃光寺五重塔
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瑠璃光寺五重塔
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解説文
瑠璃光寺五重塔は、山口を本拠地として活躍した室町時代の守護大名・大内義弘(1356-1399)の死後、その弟の盛見が兄の菩提を弔って建立したと伝わり、大正4年に行われた解体修理の際に、嘉吉2年(1442)の墨書がみつかり、建築年代が明らかとなった。 檜皮葺の屋根は、軒の出が比較的深く、勾配が緩やかで、軒先が軽快に反り上がり、加えて三重目より上に縁と高欄を設けず、全体に細身でひきしまった姿が特徴的である。 初重の内部には心柱が通り、心柱を覆い隠すように円形の須弥壇を設け、天井を張る。円形の須弥壇は、塔では他に例がなく、仏堂を含めてもきわめて希少で独特なものである。
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詳細解説
瑠璃光寺五重塔 一基 瑠璃光寺は、元禄3年(1690)に五重塔が残る香積寺の跡地へ移ってきた。香積寺は大内義弘(1356ー1399)が開いた臨済宗寺院で、慶長9年(1604)萩城築城にさいして萩へ移され、元和2年(1616)には五重塔も移されそうになったが、住民の請願によって残ることとなった。五重塔は、万治4年(1661)改鋳の相輪伏鉢の刻銘によると、義弘の死後、弟盛見が兄の菩提を弔うために建立したという。大正4年の解体修理のさい巻斗から嘉吉2年(1442)の墨書が発見され、建立年代が明らかになった。 檜皮葺の屋根は勾配がゆるやかで軒先が隅で軽快に反り上り、軒の出は比較的深く、そのうえ三重以上に縁・高欄がないため塔身がしまってみえる。二重以上では,柱間装置の形式がまちまちで統一がとれていないが、これが建立当初の形式を踏襲したものかどうかは明らかでない。内法長押の取りつきも不ぞろいであるが、他の五重塔の遺構から判断して、二重以上には当初つけなかったと思われる。また二重の縁・高欄もなかったのかもしれない。組物では、隅大斗の斗繰をつくらずに箱形のままとしたり、手先肘木の上端に幅を狭めた低いつくり出しをつけたりしており、補強のための独特の手法もみられる。 初重内部には心柱が通り、四天柱間に禅宗様の手法をもつ円形の須弥壇を設け、天井を鏡天井とする。円形の須弥壇は、塔では他に類例がなく、仏堂でもめずらしい。 【引用文献】 『国宝大辞典(五)建造物』(講談社 一九八五年)
関連情報
附指定
斗
関連情報
附指定
附名称
:
斗
附員数
:
1箇