国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
誠之堂
ふりがな
:
せいしどう
棟名
:
棟名ふりがな
:
誠之堂
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員数
:
1棟
種別
:
近代/文化施設
時代
:
大正
年代
:
大正5
西暦
:
1916
構造及び形式等
:
煉瓦造、建築面積113.30m2、一階建、スレート葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02425
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2003.05.30(平成15.05.30)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
埼玉県
所在地
:
埼玉県深谷市起会字唐言110番3
保管施設の名称
:
所有者名
:
深谷市
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
誠之堂
解説文:
詳細解説
誠之堂は,渋沢栄一の喜寿を祝い,第一銀行の運動場及び保養施設の清和園に建設された記念堂である。大正5年3月に起工,同年11月12日に竣工開館した。設計は清水組技師長の田辺淳吉である。平成10年から11年にかけて,大ばらし解体のうえ,現在地に移築復原された。
煉瓦造,平屋建,屋根は天然スレート葺である。平面は濡縁(ヴェランダ)付きの大広間を中心として,次ノ間,化粧所,玄関などの構成になる。
誠之堂は,外観の基調を英国の田園趣味に基づいたものとし,多彩な煉瓦積技法と自在な意匠とにより,端整かつ雅趣ある建築作品に仕上がっている。
大正期の名建築デザイナーとされる田辺淳吉の代表作のひとつであり,大正建築の特質の一面である美術工芸運動的傾向を代表する作品として,重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
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誠之堂
誠之堂 内部
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誠之堂
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誠之堂 内部
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解説文
誠之堂は,渋沢栄一の喜寿を祝い,第一銀行の運動場及び保養施設の清和園に建設された記念堂である。大正5年3月に起工,同年11月12日に竣工開館した。設計は清水組技師長の田辺淳吉である。平成10年から11年にかけて,大ばらし解体のうえ,現在地に移築復原された。 煉瓦造,平屋建,屋根は天然スレート葺である。平面は濡縁(ヴェランダ)付きの大広間を中心として,次ノ間,化粧所,玄関などの構成になる。 誠之堂は,外観の基調を英国の田園趣味に基づいたものとし,多彩な煉瓦積技法と自在な意匠とにより,端整かつ雅趣ある建築作品に仕上がっている。 大正期の名建築デザイナーとされる田辺淳吉の代表作のひとつであり,大正建築の特質の一面である美術工芸運動的傾向を代表する作品として,重要である。
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詳細解説
誠之堂 一棟 誠之堂は、渋沢栄一の喜寿を祝い、大正五年に建設された記念堂で、多摩川を望む東京府荏原郡玉川村瀬田下ノ原(現東京都世田谷区瀬田)に位置する、第一銀行の運動場及び保養施設である「清和園」に建設された。煖炉上部扁額(大正八年掲額)に「大正五季丙辰、青淵先生躋喜寿、第一銀行諸員肯議、新築一堂於清和園、祝之請先生命名曰誠之、又刻此像表敬愛之至情云」とあり由来を示す。なお、「誠之」は、『中庸』の「誠者、天之、道也、誠之者、人之道也」からとったとされる。 『建築雑誌』第三六三号(大正六年三月)巻末附図説明「誠之堂建築」より、大正五年三月起工、同年一一月一二日に竣工開館したもので、設計は清水組技師長の田辺淳吉、施工は清水組である。 誠之堂は、昭和五○年代以降の一時期、聖マリア学園の外国人教師館に充てられたこともあったが、平成九年には周辺敷地が同学園に売却されることになり、平成一○年から一一年にかけて、大ばらし解体のうえ埼玉県深谷市北部運動公園西側の大寄公民館用地内の現在地に移築復原された。なお、清和園内誠之堂の北方に大正一五年建設された鉄筋コンクリート造の清風亭(設計・西村好時)は、広間南北の出窓部分、煖炉部分、ベランダアーチ部分を大ばらしし、現在地において、かつての誠之堂と同じ関係位置に移築再現されている。 誠之堂は、煉瓦造平屋建、建築面積一一三・三平方メートル規模で、東に面する「濡縁」(ヴェランダ)付きの「大広間」を中心として、南に婦人小憩のための「次ノ間」と「化粧所」を配し、西に「玄関」と「扣室」(給仕室)・便所をL字型に突き出す(室名は、設計図面による)。屋根は、天然スレート葺で、「大広間」部に南北棟の切妻屋根、「次ノ間」部に半寄棟屋根、「玄関」部には東西棟の切妻屋根を架け、切妻屋根の東面を葺き下ろして「濡縁」を覆うとともに端部を妻面に廻して入母屋造風に見せるなど、屋根窓、煉瓦造煙突、「臭突」(換気塔)などと相俟って非対称の外観シルエットをつくる。 外観の基調は、佐藤功一編『田辺淳吉氏作品集』(洪洋社刊 大正一○年)所収の解説によると、「英国の田園趣味に基いたもの」とされる。外壁は、濃淡三種の煉瓦を用い、外面をフランス積に見せて一枚半厚となるように積み、小口面をみせる煉瓦を一つおきに一○ミリ程前面に突出させるなど多彩なブリックワークがみられる。煉瓦目地はしのぎ目地とし、北及び南妻面の破風内はドイツ壁風のモルタル掃付け仕上げとする。「濡縁」の木部は名栗仕上げの杉材で、両側に鍵型の腰掛を設け、背もたれには東洋趣味風の手摺子を組み込む。使用煉瓦は、「上敷免製」の刻印のある煉瓦が確認されたことから、「日本煉瓦製造株式会社」製煉瓦と判断される。北面の煉瓦煙突部では赤・黄・黒の三種の煉瓦を用いた装飾積で周枠内に「喜寿」の文字を表している。 内部は、「大広間」ヴォールト天井のリブに雲鶴模様の石膏レリーフを配し、開口部抱き部分や煖炉廻り及び煖炉上部の渋沢栄一の銅像レリーフ廻りにはチョコレート色化粧タイルを装飾的に張るほか、煖炉脇三箇所の窓には中国漢代の画像石に倣った意匠図案のステインドグラスを嵌める。ステンドグラスは製作は、宇野澤組ステンドグラス製作所と推定されている。また、「次ノ間」の出窓や網代天井、「玄関」の煉瓦積を現した壁面や天井廻りのハーフティンバー風意匠、「化粧所」のステインドグラスを嵌めた建具等、吟味された素材ときめ細かいデザインにより密度の濃い内部空間を創りあげている。「大広間」部の小屋組は、上部合掌の中程に横架材を渡して真束(キングポスト)を建て、ヴォールト天井の勾配に沿った下部合掌を上部合掌の両側から挟むように架け、真束の下部三分の一のところを頂点とした二重合掌の変形トラス小屋とする。 誠之堂は、小品ながら、多彩な煉瓦積技法と自在な意匠とにより端整かつ雅趣ある建築作品に仕上がっており、大正建築の特質の一面である美術工芸運動的傾向を代表する作品として重要である。大正期の名建築デザイナーとされる田辺淳吉の代表作のひとつであり、また、大ばらし工法により煉瓦造建築の移築復原を実現させたことも特筆される。 【参考文献】 『誠之堂・清風亭移築修理工事報告書 誠之堂編』(深谷市・清水建設株式会社 平成一三年) 『誠之堂ステンドグラス調査報告書』(深谷市 平成一三年)