国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
歓喜院
ふりがな
:
かんぎいん
棟名
:
聖天堂
棟名ふりがな
:
しょうでんどう
歓喜院 聖天堂 奥殿
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/神社
時代
:
江戸中期
年代
:
延享元(奥殿・1744)、宝暦10(中殿・1760)、宝暦6(拝殿・1756)
西暦
:
構造及び形式等
:
奥殿 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、両側面軒唐破風、
背面千鳥破風及び軒唐破風付、向拝一間
中殿 桁行三間、梁間一間、一重、両下造
拝殿 桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝三間、
軒唐破風付
総銅板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02163
国宝・重文区分
:
国宝
重文指定年月日
:
1984.12.28(昭和59.12.28)
国宝指定年月日
:
2012.07.09(平成24.07.09)
追加年月日
:
重文指定基準1
:
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
埼玉県
所在地
:
埼玉県熊谷市妻沼
保管施設の名称
:
所有者名
:
歓喜院
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
歓喜院 聖天堂 奥殿
解説文:
詳細解説
歓喜院は高野山真言宗に属し、治承3年(1179)の創建と伝わる。現在の聖天堂は、享保5年(1720)に歓喜院院主海算(かいさん)が再建を発願、民衆の寄進を募り、地元の大工林兵庫正清(まさきよ)によって建設されたものである。
奥殿、中殿、拝殿よりなる権現造の形式で、延享元年(1744)に奥殿と中殿の一部が完成し、宝暦10年(1760)までに中殿と拝殿が完成した。とくに奥殿は多彩な彫刻技法が駆使され、さらに色漆塗や金箔押などによる極彩色を施してきらびやかに飾る。また、拝殿正面を開放として参詣の便をはかるなど庶民信仰の隆盛を物語る建物である。
聖天堂は、江戸時代に発展した多様な建築装飾技法がおしみなく注がれた華麗な建物であり、技術的な頂点の一つをなしている。このような建物が庶民信仰によって実現したことは、宗教建築における装飾文化の普及の過程を示しており、我が国の文化史上、高い価値を有している。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
歓喜院 聖天堂 奥殿
歓喜院 聖天堂 拝殿
写真一覧
歓喜院 聖天堂 奥殿
写真一覧
歓喜院 聖天堂 拝殿
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解説文
歓喜院は高野山真言宗に属し、治承3年(1179)の創建と伝わる。現在の聖天堂は、享保5年(1720)に歓喜院院主海算(かいさん)が再建を発願、民衆の寄進を募り、地元の大工林兵庫正清(まさきよ)によって建設されたものである。 奥殿、中殿、拝殿よりなる権現造の形式で、延享元年(1744)に奥殿と中殿の一部が完成し、宝暦10年(1760)までに中殿と拝殿が完成した。とくに奥殿は多彩な彫刻技法が駆使され、さらに色漆塗や金箔押などによる極彩色を施してきらびやかに飾る。また、拝殿正面を開放として参詣の便をはかるなど庶民信仰の隆盛を物語る建物である。 聖天堂は、江戸時代に発展した多様な建築装飾技法がおしみなく注がれた華麗な建物であり、技術的な頂点の一つをなしている。このような建物が庶民信仰によって実現したことは、宗教建築における装飾文化の普及の過程を示しており、我が国の文化史上、高い価値を有している。
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詳細解説
歓喜院 聖天堂 一棟 歓喜院は埼玉県北部、利根川中流域南岸の熊谷市妻沼にあり、聖天山と号して高野山真言宗に属する。寺伝によれば治承三年(一一七九)に斎藤実盛が守り本尊の大聖歓喜天を祀った聖天宮に始まるという。建久八年(一一九七)に実盛の子実長(良応僧都)が聖天宮を修復し、別当坊として歓喜院を開いた。その後、天文二一年(一五五二)に忍城主成田氏が聖天堂を造営、慶長九年(一六〇四)に徳川家康により再興されたが、寛文一〇年(一六七〇)の妻沼大火により焼失した。 聖天堂は長く仮堂であったが、享保五年(一七二〇)に地元の大工林兵庫正清が再建を志し、歓喜院主海算と諮って広く寄進を募った。造営は享保二〇年に奥殿からとりかかり、寛保元年(一七四一)に上棟、延享元年(一七四四)に中殿の奥側二間まで完成したが、度重なる水害のために工事は中断した。宝暦五年(一七五五)に正清の子の林兵庫正信が中心となって拝殿の造営が再開され、翌六年に上棟、同一〇年に中殿とともに完成をみたが、屋根は全体がこけら葺の土居葺のままで、安永八年(一七七九)にようやく瓦棒銅板葺とした。 聖天堂は、昭和五九年一二月二八日付けで重要文化財に指定されている。平成一五年度から二二年度にかけて屋根葺替及び部分修理、塗装修理の保存修理工事が実施された。修理に伴う調査により、多様な装飾技法の詳細が明らかとなった。 聖天堂は、奥殿、中殿、拝殿が接続して一体化した、権現造の形式で、東を正面にして建つ。奥殿は桁行三間、梁間三間、入母屋造で、正面には間口いっぱいに一間向拝を付ける。軒は二軒で正面を除く三方に軒唐破風を付け、背面には千鳥破風を飾る。中殿は桁行三間、梁間一間の両下造で、奥殿向拝と拝殿桁行中央間をつなぐ。拝殿は桁行五間、梁間三間の入母屋造で、正面に三間向拝を付け、軒唐破風と千鳥破風で飾る。内部は奥二間を畳敷の内拝、前面の一間は吹放ちの外拝とする。中殿が拝殿に取付く北側隅には御供所の下屋が付く。 建物の内外は、彫刻、漆塗、彩色、絵画、金具で飾る。装飾の種類と密度により、拝殿から中殿、奥殿へと荘厳性を高める。 彫刻は、土台、柱、長押、頭貫などに地紋彫を施す。木鼻は獅子、龍、象、鳳凰の霊獣、蟇股は花鳥や風神雷神、奥殿内法下の大羽目彫刻は七福神、縁下の腰羽目彫刻は唐子遊びを題材とし、透彫、浮彫、丸彫、篭彫、高肉彫を織り交ぜて立体感のある造形とする。 漆塗は、黒、赤、黄、緑、焦茶の五色の色漆塗と透漆塗、木地溜塗の技法を使い分け、要所には金箔を押す。 彩色は、膠彩色による極彩色で、絵具を盛上げた置上彩色で大羽目彫刻などの細部や奥殿天井格間の吉祥文字などを立体的に表現する。また、漆地に金箔を押した上に彩色を施す生彩色も用いる。桐油彩色により漆塗では難しい白色を補う。奥殿の柱は地紋彫に唐木摺を加えている。屋根の銅板には黒色のチャン塗が施された。 絵画は、全て板絵で、奥殿の内陣内法壁は唐獅子、中殿の外部小壁は唐獅子、内部小壁は翔鶴、天井格間は宝尽しを描く。拝殿は内拝天井の中央間鏡板に大きく龍を描き、周囲の天井格間に龍と草花、外拝天井格間は鳥獣とする。 歓喜院聖天堂は、近世初頭から霊廟建築などで発展してきた多様な建築装飾技術が惜しみなく注がれた、江戸時代中期の建築装飾の頂点の一つを示す建物である。また、これが庶民の寄進によって実現されたことは、庶民信仰の隆盛による近世宗教建築における装飾文化の普及の過程を現すものであり、我が国文化史上、高い価値を有している。 【参考文献】 『重要文化財歓喜院聖天堂保存修理工事報告書』(歓喜院 二〇一一年)