国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要伝統的建造物群保存地区
主情報
名称
:
牟岐町出羽島
ふりがな
:
むぎちょうてばじま
牟岐町出羽島
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種別1
:
漁村集落
種別2
:
面積
:
3.7 ha
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
選定年月日
:
2017.02.23(平成29.02.23)
追加年月日
:
選定基準1
:
(三)伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示しているもの
選定基準2
:
選定基準3
:
所在地
:
徳島県牟岐町
牟岐町出羽島
解説文:
詳細解説
出羽島は、徳島県南部、牟岐町の南海上に浮かぶ島で、島北部では、東から西に砂嘴が伸びて入り江をつくり、この入り江周りから島北西部の低地にかけて形成された漁村で、徳島藩の移住政策により寛政12年から集落の形成が始まり、明治後期から昭和戦前期にかけて、主としてカツオ漁やマグロ漁で栄えた。天保11年を最古とし、江戸期から昭和初期にかけて建てられた伝統的な主屋が良く残り、その大半は道路に面して建つ間口3~4間規模の町家で、切妻造、平入、平屋若しくは二階建である。同規模、同形式の伝統的な主屋が、社寺や集落南部の斜面に階段状に形成された畑地、小路、石積・石垣、井戸・燈籠等の石造物等と一体となって、近世後期に徳島南海の島に形成された漁村の歴史的風致を良く伝える伝統的建造物群保存地区。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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牟岐町出羽島
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牟岐町出羽島
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解説文
出羽島は、徳島県南部、牟岐町の南海上に浮かぶ島で、島北部では、東から西に砂嘴が伸びて入り江をつくり、この入り江周りから島北西部の低地にかけて形成された漁村で、徳島藩の移住政策により寛政12年から集落の形成が始まり、明治後期から昭和戦前期にかけて、主としてカツオ漁やマグロ漁で栄えた。天保11年を最古とし、江戸期から昭和初期にかけて建てられた伝統的な主屋が良く残り、その大半は道路に面して建つ間口3~4間規模の町家で、切妻造、平入、平屋若しくは二階建である。同規模、同形式の伝統的な主屋が、社寺や集落南部の斜面に階段状に形成された畑地、小路、石積・石垣、井戸・燈籠等の石造物等と一体となって、近世後期に徳島南海の島に形成された漁村の歴史的風致を良く伝える伝統的建造物群保存地区。
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詳細解説
徳島県南東部に位置する牟岐町の沖合に浮かぶ出羽島の北部、入江に形成された漁村集落である。 出羽島は、江戸時代は徳島藩に属し、藩が移住奨励を強めた寛政12年(1800)に、6軒から始まり、5年のうちに50軒程となり、明治以降、鰹漁の隆盛に伴い人口を増やし、昭和9年には166軒、約800人に至った。 出羽島では、入江周りから西北部の山裾にかけて宅地が集中し、その背後の斜面に畑地が階段状に作られる。道は地形に合わせて湾曲しながら宅地と畑地を結び、アワエと呼ばれる小路が分岐して、宅地と海を繋いでいる。 保存地区は、面積約3.7ヘクタールの範囲で、天保11年(1840)を最古として、江戸末期から昭和前期にかけての伝統的な主屋が良く残る。その大半が、間口3~4間規模の切妻造、瓦葺、平入、平屋又は二階建である。間取りは、通り土間に面して2列4室とし、正面外観は、蔀と床几から成る揚げ見世と出格子を特徴とする。 牟岐町出羽島伝統的建造物群保存地区は、徳島藩の移住奨励によって形成され、江戸後期から昭和前期まで、鰹漁の隆盛に伴って拡大した漁村集落である。組頭庄屋を勤めた青木家による土地所有の下、規模や形式が揃った漁家の主屋が建ち並ぶ集落景観を今日に良く伝えている。