国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要伝統的建造物群保存地区
主情報
名称
:
杵築市北台南台
ふりがな
:
きつきしきただいみなみだい
杵築市北台南台
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
種別1
:
武家町
種別2
:
面積
:
16.1 ha
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
選定年月日
:
2017.11.28(平成29.11.28)
追加年月日
:
選定基準1
:
(二)伝統的建造物群及び地割がよく旧態を保持しているもの
選定基準2
:
選定基準3
:
所在地
:
大分県杵築市
杵築市北台南台
解説文:
詳細解説
杵築市は、国東半島南頸部に位置する旧城下町で、城跡から西に延びる岬と背後の台地上にあって海蝕崖による高低差に富んだ地形を持ち、台地は東西に走る谷によって南北に分断され、北部は北台、南部は南台と呼ばれる。江戸時代にはこの台地上を武家地として区画し、近代以降もその地割を残して住宅街となっている。慶長期の縄張りを基盤に、正保2年(1645)能見松平家が入った際、現在の地割りが完成し、北台、南台とも江戸後期・末期に大火があったが、地割りを残してその都度住宅が再建されたため、地区内には江戸末期の武家住宅が多く現存する。杵築城下の南北台地上に区画された旧武家地で、石垣と土塀などで区切る藩政期以来の地割を良く踏襲して、近世武家住宅を中心とした江戸末期から昭和中期までの伝統的建造物を密度高く残す伝統的建造物群保存地区。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
写真一覧
杵築市北台南台
杵築市北台南台
写真一覧
杵築市北台南台
写真一覧
杵築市北台南台
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
杵築市は、国東半島南頸部に位置する旧城下町で、城跡から西に延びる岬と背後の台地上にあって海蝕崖による高低差に富んだ地形を持ち、台地は東西に走る谷によって南北に分断され、北部は北台、南部は南台と呼ばれる。江戸時代にはこの台地上を武家地として区画し、近代以降もその地割を残して住宅街となっている。慶長期の縄張りを基盤に、正保2年(1645)能見松平家が入った際、現在の地割りが完成し、北台、南台とも江戸後期・末期に大火があったが、地割りを残してその都度住宅が再建されたため、地区内には江戸末期の武家住宅が多く現存する。杵築城下の南北台地上に区画された旧武家地で、石垣と土塀などで区切る藩政期以来の地割を良く踏襲して、近世武家住宅を中心とした江戸末期から昭和中期までの伝統的建造物を密度高く残す伝統的建造物群保存地区。
詳細解説▶
詳細解説
国東半島南部に位置する大分県杵築市の中心市街地は、杵築藩の城下町を引き継ぐ。杵築は大友氏配下の木付氏の本拠であったが、文禄2年(1593)に豊臣秀吉の蔵入地となり、慶長5年(1600)には細川忠興の支配下に入った。正保2年(1645)に松平英親が入封した後は、幕末まで松平氏が藩を治めた。小藩ながらも17世紀後期より七島藺の生産で経済基盤を築き、教育が盛んで、多くの文人を輩出している。 城下町は、細川忠興家臣で城代の松井康之が慶長期に縄張りをし、17世紀半ば、松平英親の時代に地割が概ね整った。守江湾に突き出す丘陵北麓に藩主の居館が置かれ、その西方の海蝕崖で囲まれた台地は武家地、台地を囲む低地は町人地とされた。台地は谷で南北に分けられ、北部は北台、南部は南台と呼ばれる。南台の西端には寺地が配された。 町人地は戦後に道路拡幅がなされたものの、北台と南台の武家地は住宅地として今日に至り、正保以来の藩政期の地割を良好に留めている。 保存地区は、北台及び南台の旧武家地から成る約16.1ヘクタールの範囲である。両台とも江戸時代に数度の大火があったが、その都度再建され、江戸末期の武家屋敷を良く残す。 北台と南台の周縁には要所に坂が切り通され、台地上には家老丁、本丁、裏丁等の区画がなされて、主に高禄の家臣の屋敷地が配された。敷地は石垣で造成して土塀などで囲い、通りに面して長屋門や薬医門で門口を開く。武家住宅の主屋は茅葺や瓦葺で、式台を構えて格式を示し、主屋と門の間には前庭を配してソテツやマツを植える。 杵築市北台南台伝統的建造物群保存地区は、南北台地上に区画された杵築城下の武家地で、藩政期の地割を踏襲し、近世武家住宅の主屋と門及び、その形式を受け継いだ近代の住宅主屋を伝統的建造物として良く残す。高低差のある地形を生かして天然の要害を成し、坂を巧みに配して武家地を結節する縄張りは、石垣や石段、土塀などによって雄大な景観として表われ、その独特な歴史的風致を良く伝える。