国宝・重要文化財(美術品)
 主情報
名称 木造熊野速玉大神坐像/木造夫須美大神坐像/木造家津御子大神坐像/木造国常立命坐像
ふりがな もくぞうくまのはやたまおおかみざぞう/もくぞうふすみのかみざぞう/もくぞうけつみこおおかみざぞう/もくぞうくにとこたちのみことざぞう
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員数 1躯/1躯/1躯/1躯
種別 彫刻
日本
時代 平安
年代
西暦
作者
寸法・重量
品質・形状
ト書
画賛・奥書・銘文等
伝来・その他参考となるべき事項
指定番号(登録番号) 00127
枝番 0
国宝・重文区分 国宝
重文指定年月日 1899.08.01(明治32.08.01)
国宝指定年月日 2005.06.09(平成17.06.09)
追加年月日
所在都道府県 和歌山県
所在地
保管施設の名称
所有者名 熊野速玉大社
管理団体・管理責任者名

解説文:
 熊野三所とされる熊野速玉大神、夫須美大神、家津御子大神の三神に国常立命を加えた四神で、いずれも平安時代前期の作である。男女神である前二像は等身を超える大型、後二像は等身の大きさとなる。当社のこのほかの諸神像は平安時代後期および鎌倉時代に下る作であり像高もさらに小さいので、神格により製作時期に違いがあり、大きさにも差がつけられていることがわかる。
 熊野速玉大神と夫須美大神がまとう宮廷官人および女官の装束は初期神像に共通するが、当時一般的な等身よりも大型なのは通行を超えた神格であることを表すものかと推定される。両手は笏を執るかまたは拱手とし、また跪坐あるいは片膝立ての坐法とするなどは、定式化せず古式を表すものかと考えられる。
 いずれも完全な一木造で、古写真によれば像底に大きな朽損のあるものがあり、像底を石膏で埋めた現状から判断して四体とも同様な状態だったらしい。熊野速玉大神の被る宝冠は神仏習合的な要素であるが、その宝冠に描かれる大振りな唐草文様は当麻寺板光背(重文)の彩色文様に似たものがあり造像当初のものとみられる。文様の下に見える別の墨描唐草文様は全面的なものではないので、使われなかった下描きと推測される。
 熊野速玉大神は大きく見開いた目、長くたくわえられた顎鬚などの偉丈夫の雄姿で、これに対する夫須美大神は豊かな肉体ながら威厳ある風貌である。家津御子大神は引き締まった精悍な顔立ちであり、国常立命は若々しい相貌で悠揚迫らぬ趣がある。これほど気宇壮大な神像群は他に例を見ない。熊野速玉大神と国常立命の各耳の彫法が互いに類似しており、また像容もともに雄大な風格を表すので、相通じる作風の夫須美大神を入れて同時期、同系工人の作と考えられる。一方の家津御子大神は引き締まった彫りをするところに特徴があり、別手とみられる。前者のなだらかな衣文に対し後者のそれが深く鎬【しのぎ】立つのも、工人の違いを示しているように推定されるが、製作時期が大きく異なるほどの違いではないだろう。熊野速玉大神の大きく見開いた目や強く結ばれた唇などが、九世紀末から一〇世紀初めとされる法輪寺十一面観音像(重文)に比べて、面相部の抑揚がやや平明になってはいるもののよく似ているのは、製作時期の近さだけでなく工人が仏師であったことを推定させる。
 当社は貞観元年(八五九)に従五位上に叙されて以来急速に神階を加え、延喜七年(九〇七)には従一位にまで昇り、その間、昌泰三年(九〇〇)に宇多法皇の行幸があった。これは当社に対する信仰が広まり中央にも知られる名神となったことによるものだが、そのような情勢を踏まえて祭神にも中央に遜色のない大型でかつ重厚な神像がつくられたという事情が本神像の製作の背景に考えられる。八世紀末から九世紀全般にかけては、わが国で初めて神像が成立しそれが各地に浸透していった時期に当るが、その最終段階に出現した雄偉でかつ理想的な神の姿といえる。
関連情報
    (情報の有無)
  附指定 なし
  一つ書 なし
  添付ファイル なし