国宝・重要文化財(美術工芸品)
 主情報
名称 絹本著色五大尊像
ふりがな けんぽんちゃくしょくごだいそんぞう
解説表示▶
員数 5幅
種別 絵画
日本
時代 平安
年代
西暦
作者
寸法・重量
品質・形状
ト書 降三世明王に寛治二年十月十日、軍荼利明王に同四年六月一日云々の開眼供養銘(画絹裏)がある
画賛・奥書・銘文等
伝来・その他参考となるべき事項
指定番号(登録番号) 00157
枝番 0
国宝・重文区分 国宝
重文指定年月日
国宝指定年月日 2004.06.08(平成16.06.08)
追加年月日
所在都道府県 岐阜県
所在地
保管施設の名称
所有者名 宗教法人来振寺
管理団体・管理責任者名

解説文:
 五大尊像は密教の五壇法に用いられる本尊画像で、鎌倉時代以前に遡る五幅揃った画像遺例は教王護国寺本(昭和二十七年三月二十九日指定、国宝)、醍醐寺本(昭和三十年六月二十二日指定、国宝)と本図のみしかない。しかも、これら三本は図像を異にし、前者二幅は東密系と考えられるのに対して、本図はいわゆる「智証大師請来様【ちしょうだいししょうらいよう】」として図像集に掲載されるものに相当する。すなわち、台密寺門【たいみつじもん】系の五大尊であり、その実作例として本図は中世以前では唯一の五幅本であり、図像類も含めて最古の遺品ということができる。
 『別尊雑記』以下の諸図像集では、弘法大師様仁王経五方諸尊図像のように五菩薩と組み合わせた図像を載せ、金剛夜叉明王に替えて烏樞沙摩【うすさま】明王を用いるともされる。本図五幅は、『別尊雑記』に注記された色彩と差異があるほかはほぼ一致する。この図像に則った作画例としては、鎌倉時代の作として不動幅のみが、園城寺(明治三十三年四月七日指定、重文)および延暦寺(昭和四十六年六月二十二日指定、重文)に伝存しているばかりである。
 本図五幅のうち降三世【ごうざんぜ】明王幅に寛治二年、軍荼利明王幅に寛治四年の年紀があり、それぞれ制作時期を示すものと解されるが、平安仏画で年紀を有するものは金剛峯寺蔵仏涅槃図(昭和二十六年六月九日指定、国宝)および持光寺蔵普賢延命像(昭和五十年六月十二日指定、国宝)のみであり、この点でも本図の価値は高い。特に金剛峯寺本は小円を充填する輪繋ぎ文や〓文の多用等、本図と技法的に共通するところがある。
 五幅間で表現・技法に相違がある。不動明王幅は五幅のうちで最も損傷が甚だしく、補筆や補彩も少なくないが、火焔光背の形状、童子や使者の表情、明王の腰衣に施された植物文等は古風を示すものの、線質や色感等を勘案すると、他幅よりも制作時代の下降することが推測される。しかし、他の四幅については、たとえば烏樞沙摩明王幅を見ると、文様表現が大威徳明王幅に、形態感覚は軍荼利明王幅にそれぞれ近似するなど、各幅間で複雑に近縁関係が認められる。大威徳明王幅は他幅より画面がやや大きく、良質の料絹を用いているためか保存状態も良いが、明王や童子の肉身にみられる形態や肉付け法は、他幅同様に十一世紀末ころの作として矛盾しない。不動明王幅は、なんらかの理由があって古本に倣って後補されたものと考えられるが、絹幅や絹継ぎ法が共通することも勘案して、不動明王幅の祖本を含めて五大尊像として寛治年間に順次制作されたものと推定することができよう。
 本図は降三世明王をはじめ、各幅ごとに単独でも十分にその価値を主張し得る優品であり、あたかも当期仏画の多様な趣向を一覧する趣さえある。これに加えて、五幅が揃っていることによる密教事相学上の価値はきわめて高く、かつ二幅が年紀を有することで美術史上でもかけがえのないものとなっている。
【銘文】各画絹裏墨書
降三世明王
「寛治二年/十月十日/奉開眼供/養了」
軍荼利明王
「寛治四年六月一日〈甲/〉始自□□日至□□開眼□□  」
関連情報
    (情報の有無)
  附指定 なし
  一つ書 なし
  添付ファイル なし