国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
琉球国王尚家関係資料
ふりがな
:
りゅうきゅうこくおうしょうけかんけいしりょう
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員数
:
1292点
種別
:
歴史資料
国
:
日本
時代
:
第二尚氏~明治
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
00002
枝番
:
0
国宝・重文区分
:
国宝
重文指定年月日
:
国宝指定年月日
:
2006.06.09(平成18.06.09)
追加年月日
:
所在都道府県
:
沖縄県
所在地
:
那覇市歴史博物館 沖縄県那覇市久茂地1-1-1 パレットくもじ4階
保管施設の名称
:
那覇市歴史博物館
所有者名
:
那覇市
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
尚家は琉球王国の王家で、成化六年(一四七〇)に王となった尚円【しょうえん】から明治十二年(一八七九)の琉球処分により最後の王となった一九代尚泰【しょうたい】まで四百余年にわたって王国を統治した。尚思紹【しょうししょう】を初代とする前政権の時代を第一尚氏時代と称するのに対してこれを第二尚氏時代と呼ぶ。同治七年(明治元年〈一八六八〉)には明治政府が成立し、琉球王国の運命を大きく変えることになる。明治五年に琉球王国が廃され琉球藩が置かれると、尚泰は琉球藩王となる。明治八年には琉球処分官松田道之【みちゆき】が来琉。清国との断絶、日本年号の使用等を令達する。明治政府と琉球藩府との間にさまざまな交渉がなされたが、明治十二年四月、明治政府は琉球処分を断行し、尚泰に上京を命じた。この時点で、琉球王国はその歴史を閉じることとなる。
本件は尚家が代々継承してきたもので、工芸品八五点、文書・記録類一一六六点からなる。
工芸品は王家での諸儀式等に用いられたものが主となり、一六世紀から一九世紀に及ぶ。工芸品のなかには王装束があり、琉球国王の王装束では唯一現存するものである。これらは琉球工芸を代表する作品が広くまとまって遺存する唯一の資料であり、琉球文化を理解するうえで貴重な伝来品であるとして、平成十四年に工芸品部門で重要文化財「琉球王尚家伝来品」として指定された。
尚家が継承していた文書・記録類は一八世紀から一九世紀に至るものを中心とする。
工芸品の附指定であった「御絵図【みえず】帳」や王家の冠婚葬祭に関わる文書、清との冊封【さくほう】関係に関する「冠船【かんせん】関係資料」「進貢【しんこう】・接貢船【せっこうせん】関係資料」、薩摩藩との関係を示す「薩琉関係資料」、琉球王国の内政・財政に関わる資料、ペリーなど琉球に来航した異国船に関わる資料、そして「琉球処分および東京関係資料」等からなり、「琉球処分および東京関係資料」は一紙文書を含め、本件の文書・記録類の中核をなしている資料である。琉球処分という明治政府と琉球王国の葛藤はよく知られているが、処分される側の具体的な舞台裏を語る資料として琉球処分研究上きわめて貴重である。蔡温【さいおん】本「中山世譜【ちゅうざんせいふ】」などの典籍類は異本校訂資料として貴重である。
明治政府が押収した文書群は、関東大震災で灰燼に帰し、首里の尚家に残されていた文書を含む資料群は第二次大戦で壊滅してしまった現在、東京に取り寄せられ尚家に伝えられた文書・記録類は国家としての琉球王国の実態を探る一級の資料群といえる。尚家の文書・記録類は、尚裕【しょうひろし】氏により平成六年から八年にかけて那覇市に寄贈されたことにより、調査が可能になりその重要性があらためて明らかになった。
琉球工芸の優品である「琉球王尚家伝来品」と文書・記録類の総体は、琉球王国を立体的に把握する上で比類のない資料群であり、南海に存在した琉球王国とその歴史・文化を語る唯一まとまった資料群としてきわめて高い価値をもつ。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
添付ファイル
なし
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解説文
尚家は琉球王国の王家で、成化六年(一四七〇)に王となった尚円【しょうえん】から明治十二年(一八七九)の琉球処分により最後の王となった一九代尚泰【しょうたい】まで四百余年にわたって王国を統治した。尚思紹【しょうししょう】を初代とする前政権の時代を第一尚氏時代と称するのに対してこれを第二尚氏時代と呼ぶ。同治七年(明治元年〈一八六八〉)には明治政府が成立し、琉球王国の運命を大きく変えることになる。明治五年に琉球王国が廃され琉球藩が置かれると、尚泰は琉球藩王となる。明治八年には琉球処分官松田道之【みちゆき】が来琉。清国との断絶、日本年号の使用等を令達する。明治政府と琉球藩府との間にさまざまな交渉がなされたが、明治十二年四月、明治政府は琉球処分を断行し、尚泰に上京を命じた。この時点で、琉球王国はその歴史を閉じることとなる。 本件は尚家が代々継承してきたもので、工芸品八五点、文書・記録類一一六六点からなる。 工芸品は王家での諸儀式等に用いられたものが主となり、一六世紀から一九世紀に及ぶ。工芸品のなかには王装束があり、琉球国王の王装束では唯一現存するものである。これらは琉球工芸を代表する作品が広くまとまって遺存する唯一の資料であり、琉球文化を理解するうえで貴重な伝来品であるとして、平成十四年に工芸品部門で重要文化財「琉球王尚家伝来品」として指定された。 尚家が継承していた文書・記録類は一八世紀から一九世紀に至るものを中心とする。 工芸品の附指定であった「御絵図【みえず】帳」や王家の冠婚葬祭に関わる文書、清との冊封【さくほう】関係に関する「冠船【かんせん】関係資料」「進貢【しんこう】・接貢船【せっこうせん】関係資料」、薩摩藩との関係を示す「薩琉関係資料」、琉球王国の内政・財政に関わる資料、ペリーなど琉球に来航した異国船に関わる資料、そして「琉球処分および東京関係資料」等からなり、「琉球処分および東京関係資料」は一紙文書を含め、本件の文書・記録類の中核をなしている資料である。琉球処分という明治政府と琉球王国の葛藤はよく知られているが、処分される側の具体的な舞台裏を語る資料として琉球処分研究上きわめて貴重である。蔡温【さいおん】本「中山世譜【ちゅうざんせいふ】」などの典籍類は異本校訂資料として貴重である。 明治政府が押収した文書群は、関東大震災で灰燼に帰し、首里の尚家に残されていた文書を含む資料群は第二次大戦で壊滅してしまった現在、東京に取り寄せられ尚家に伝えられた文書・記録類は国家としての琉球王国の実態を探る一級の資料群といえる。尚家の文書・記録類は、尚裕【しょうひろし】氏により平成六年から八年にかけて那覇市に寄贈されたことにより、調査が可能になりその重要性があらためて明らかになった。 琉球工芸の優品である「琉球王尚家伝来品」と文書・記録類の総体は、琉球王国を立体的に把握する上で比類のない資料群であり、南海に存在した琉球王国とその歴史・文化を語る唯一まとまった資料群としてきわめて高い価値をもつ。
関連情報
一つ書
一、工芸品
一、文書・記録類
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、工芸品
一つ書員数
:
八十五点
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、文書・記録類
一つ書員数
:
千二百七点
ト書
: