国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
木造地蔵菩薩立像
ふりがな
:
もくぞうじぞうぼさつりゅうぞう
解説表示▶
員数
:
1躯
種別
:
彫刻
国
:
時代
:
鎌倉
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
3570
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2010.06.29(平成22.06.29)
国宝指定年月日
:
追加年月日
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所在都道府県
:
三重県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
金剛證寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
実際に縫製した衣を着せるように造られた、いわゆる裸形着装像。エックス線写真で像内に開禧通宝(1205年初鋳)を含む唐宋銭の納入が判明しているが、像容は平安末期風が濃厚である。口をわずかに開いて歯をみせる点に生身信仰との関わりが示される。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
実際に縫製した衣を着せるように造られた、いわゆる裸形着装像。エックス線写真で像内に開禧通宝(1205年初鋳)を含む唐宋銭の納入が判明しているが、像容は平安末期風が濃厚である。口をわずかに開いて歯をみせる点に生身信仰との関わりが示される。
詳細解説▶
詳細解説
等身よりやや小振りの地蔵菩薩像で、下半身に臍から膝下までを覆う下衣をまとうのみの裸形【らぎょう】に造り、これに実際に縫製した袈裟をまとわせる、いわゆる裸形着装像である。檜材の寄木造で、頭躰を通して正中線で左右二材を矧ぎ、躰部背面を背板状に割り矧ぐ。割首し、足は衣との境目で割足を行っている。表面は錆下地を施し肉身部漆箔、衣部白地彩色とするが、これらは後補かとみられる。 その像容は肩幅を広めにとるが、かなり撫で肩で、これは着装した際の襟の厚みの分が差し引かれているということもあろう。面貌は眉と上瞼の間隔があき、瞼はゆるやかな曲線を描いて目尻が長く延び、伏し目の内向的な表情をつくっており、鼻や唇の形もつつましく、院政期の顔立ちの特徴を示している。肩から胸にかけての肉取に抑揚がつけられるものの総じて面構成はなだらかで、側面観にみる静かな立ち姿や簡潔な衣の表現とともに平安末期風が顕著にうかがえる。しかしながらX線透過撮影により知られる、像内納入の唐宋銭五枚の中に西暦一二〇五年初鋳の開禧【かいき】通宝が含まれることより実際の製作年代は同年が上限となり、一三世紀前半ころに古様を襲って造立された像とみなされる。 本像でとりわけ注目されるのは唇をわずかに開いて歯をみせることで、この特徴はいわゆる歯吹【はふき】阿弥陀像につながるものであり、本像製作の背後に歯吹阿弥陀像と同じく生身【しょうじん】信仰が存在することをうかがわせる。 裸形着装像の出現を考えるうえで重要な事例である『長秋記』大治五年(一一三〇)五~六月条ほかにみえる「法服【ほうぶく】地蔵」は仏師院覚の手になる三尺像で、完成すると待賢門院が私宅で着装され、白河法皇一周忌の関連行事である女院自筆の法華経供養に合わせて院御所で供養された。地蔵菩薩の裸形像は金剛證寺像のほかに奈良・伝香寺像(安貞二年〈一二二八〉)、同・新薬師寺像(延応元年〈一二三九〉)、神奈川・延命寺像等があるが、現存遺品の中で金剛證寺像は最も「法服地蔵」の姿を髣髴させる。「法服地蔵」は素足に造り履物をつけさせていたことが知られるが、本像の足枘【あしほぞ】が異例に短いのは沓を履かせるためである可能性が考えられる。 金剛證寺裏山には平安末期に経ヶ峯経塚群が造営されており、保元元年(一一五六)から文治二年(一一八六)にかけての紀年銘のある経筒が出土し、造営には伊勢神宮祠官が参画したことが知られる。時期的に接する本像の造立もそれらと何らかの関わりをもつことが想像される。 本像は裸形着装像という像形式の成立事情を知るうえで欠くことのできない作例として注目される。