国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
騎竜観音〈原田直次郎筆 一八九〇年/油絵 麻布〉
ふりがな
:
きりゅうかんのん
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員数
:
1面
種別
:
絵画
国
:
日本
時代
:
近代
年代
:
明治23
西暦
:
1890
作者
:
原田直次郎
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
2025
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2007.06.08(平成19.06.08)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
東京都
所在地
:
東京都千代田区北の丸公園3-1
保管施設の名称
:
東京国立近代美術館
所有者名
:
宗教法人護国寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
原田直次郎(1863~1899)は明治15年に高橋由一に入門し、油彩技法を学んだ。同17年から20年までドイツに留学し、ミュンヘン・アカデミーで技術指導を受け、パリ美術大学でも学んだ。本図は明治23年(1890)の第3回内国勧業博覧会に出品された。左手に水瓶を、右手に楊柳をもつ白衣の観音が竜の背に乗る仏教的な主題を、光と闇の対比が作り出す劇的な空間表現のなかに描き出している。画面左下隅に年記と署名がある。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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解説文
原田直次郎(1863~1899)は明治15年に高橋由一に入門し、油彩技法を学んだ。同17年から20年までドイツに留学し、ミュンヘン・アカデミーで技術指導を受け、パリ美術大学でも学んだ。本図は明治23年(1890)の第3回内国勧業博覧会に出品された。左手に水瓶を、右手に楊柳をもつ白衣の観音が竜の背に乗る仏教的な主題を、光と闇の対比が作り出す劇的な空間表現のなかに描き出している。画面左下隅に年記と署名がある。
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詳細解説
原田直次郎(一八六三~九九)は、文久三年(一八六三)、岡山藩士原田一道の次男として江戸に生まれた。明治十五年(一八八二)、高橋由一の天絵学舎に入門。同十七年、ドイツに留学し、ミュンヘンアカデミーに入学するとともに、ガブリエル・マックスに師事、本格的な油彩技法を学んだ。同十九年には、留学中の森鴎外と邂逅、友情は生涯にわたった。この年、「靴屋の親爺」(重要文化財、東京藝術大学)を制作、その留学の成果を遺憾なく示している。同二十年に帰国、二十二年には画塾鐘美館を開き、後進の指導にあたるとともに、明治美術会の創立会員となった。以降、明治美術館や内国勧業博覧会に作品を発表するとともに鴎外作品の挿絵にも彩管を揮ったが、程なく病を得、同三十二年に没するまで長く病床にあった。本図は、明治二十三年四月に行われた第三回内国勧業博覧会に出品され好評を博したが、画題をめぐっては外山正一の批判を受けた。原田は、帰国直後に発表した「絵画改良論」において、西欧における画題の序列が歴史画を第一とすること、歴史画とは「古今ノ歴史戦争神学高名ナル詩文等ニモトヅキタル絵画」であることを述べている。本図は原田がドイツ留学直後に挑んだ「歴史画」の大作である。ところで、竜に乗る白衣の観音という図像は、鶴洲霊翯(一六四八~一七三一)が制作した一連の観音図に基づくことが指摘されている。博覧会の翌年、原田自身によって本図が納められた護国寺に、それらのうち「普門品三十三身図」が現存しており、本図の成立を考えるうえで看過しがたい。本図の図像には明らかな典拠が存在するが、その構想に関しては、画家自身の明確な証言は残されていない。ただし作品からは、原田が日本の古画に基づく画題を飽くまでもドイツ留学で培った西洋絵画の技法によって描くことに主眼を置き、これを通じて西洋における歴史画の概念をわが国に移植することを志したものと想像される。制作にあたって観音には実在の人物を、竜には蛇や軍鶏をモデルとして用いたことは、油彩による写実表現にかなった存在感を作品に付与する意図のあったことを示唆していよう。そのうえで巧みな画面構成、劇的な陰影表現によって観音と竜をモデルを超えた存在へと昇華させている。本図は、原田直次郎の短い画業の後半を代表する作例であるにとどまらず、わが国の油彩画導入段階の模索の様相をものがたる作例として近代絵画史上に重要である。