国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
絹本著色釈迦三尊十八羅漢図
ふりがな
:
けんぽんちゃくしょくしゃかさんぞんじゅうはちらかんず
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員数
:
3幅
種別
:
絵画
国
:
日本
時代
:
鎌倉
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
2041
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2010.06.29(平成22.06.29)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
山梨県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
一蓮寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
本図は、釈迦三尊を表した中幅とそれぞれ九体の羅漢を描いた左右幅からなる鎌倉時代の仏画であり、殊に中幅は中国画と見まがう出来栄えである。我が国における中国仏画の受容の様相を如実に伝えるものとして貴重である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
本図は、釈迦三尊を表した中幅とそれぞれ九体の羅漢を描いた左右幅からなる鎌倉時代の仏画であり、殊に中幅は中国画と見まがう出来栄えである。我が国における中国仏画の受容の様相を如実に伝えるものとして貴重である。
詳細解説▶
詳細解説
わが国における既指定の釈迦三尊十八羅漢図としては、鎌倉時代の岡山県頼久寺本がある。一蓮寺本の図様は、頼久寺本三幅に共通するが、その作風は頼久寺本以上に中国仏画に肉迫しており、従来、南宋もしくは元時代の作例とされてきたものである。 ここでその図様の成立について考えると、十八羅漢が注意される。これについては、玄奘訳『法住記』所説の十六羅漢に『弥勒下生経』に説かれる四大声聞のうち大迦葉、軍徒鉢歎を加えたものとする説(志磐『仏祖統記』)を代表的なものとする。その画像は、北宋時代後期にあらわれ、蘇軾が元符三年(一一〇〇)に海南島で嘱目した張玄筆十八羅漢図一八幅が史料上の初見である(蘇軾「十八大阿羅漢頌、有跋」)。またこれに釈迦像を合わせた十九幅の繡仏が政和五年(一一一五)に制作されている(覚範慧洪「繡釈迦像并十八羅漢賛」)。そして、わが国においては、仁平二年(一一五二)十月の高陽院羅漢供において、釈迦三尊像三幅に十八羅漢像一八幅を懸用したものを嚆矢とする(『兵範記』)。これらから釈迦像と十八羅漢像を一幅に一尊描くことが、北宋時代後期に始まり、わが国にも及んだことが推察される。釈迦三尊像と十八羅漢像を三幅に展開する図様は、これから発展したものであろう。 一蓮寺本の祖本となった画像について考えると、中幅は、南宋時代一三世紀の建長寺絹本著色釈迦三尊像に図様、表現技法ともに類似する点が多い。これから一蓮寺本が祖本の画風を正確に再現しており、その祖本は南宋時代に遡るものであったと推察される。ただし金泥を多用した如来の肉身表現は、南宋仏画には認め難い。左右幅の図様は、元時代の京都鹿王院絹本著色十八羅漢図(二幅)とほぼ共通する。鹿王院本の図様は、わが国の鎌倉時代後期以降、広く受容されており、これらと一蓮寺本に共通する図様は淳熙七年(一一七八)からおよそ一〇年にわたり制作された大徳寺絹本著色五百羅漢像にも認められる。 さらに一蓮寺本右幅は、ほかの十八羅漢図に見られない図様をも有する。すなわち、窟中で禅定する羅漢と眷属を伴い机前にある羅漢の図様であり、前者は契嵩『伝法正宗記』巻二所収の説話等に依拠したものとみられ、後者は、至和元年(一〇五四)の版本に基づく高山寺紙本墨達磨宗六祖師像等を彷彿し、図様に古様な点が認められる。羅漢の草床に見られる微細な金泥使用は、南宋時代一三世紀初頭の伝馬遠筆絹本著色雲門大師図(京都・天龍寺)に共通し、祖本の表現を細部にわたって咀嚼していることを示すものであろう。ただし、一蓮寺本を大徳寺本と比較すると、彩色の羅漢と水墨の山水との調和に難があり、中幅と同様、南宋時代の作品とは見なし難い。 一蓮寺本は、一見すると中幅と左右幅との間に作風上の振幅を感じさせるが、これは本図の絵師の仏画の装飾的表現に対する習熟度と水墨技法へのそれの差異が、彩色主体の釈迦三尊像と水墨山水表現を含む十八羅漢図との間にあらわれたものと推察され、本図があえてこのような振幅を提示していることから、祖本が三幅一対の画像であり、一蓮寺本は祖本を表現技法をも含めてきわめて精緻に写したものとして評価できる。 以上のように、本図は、南宋時代の釈迦三尊十八羅漢図を一具のものとして継承した稀有な例であり、巧みな画技によってこれに肉迫している点で、鎌倉時代のわが国における将来仏画の受容がきわめて高い水準で行われていたことを示す作例としてその価値は絵画史上に高い。