国宝・重要文化財(美術工芸品)
 主情報
名称 紙本白描応現観音図
ふりがな しほんはくびょうおうげんかんのんず
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員数 1枚
種別 絵画
日本
時代 平安
年代
西暦
作者
寸法・重量 縦 54.7センチメートル  横 31.1センチメートル
品質・形状 紙本白描 一紙
ト書 外題下に玄証の花押がある
画賛・奥書・銘文等
伝来・その他参考となるべき事項
指定番号(登録番号) 2046
枝番
国宝・重文区分 重要文化財
重文指定年月日 2011.06.27(平成23.06.27)
国宝指定年月日
追加年月日
所在都道府県 東京都
所在地 東京都世田谷区上野毛3-9-25
保管施設の名称 財団法人五島美術館
所有者名 財団法人五島美術館
管理団体・管理責任者名

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解説文:
本図は、一〇世紀後半、呉越国王銭弘俶(九二九~九八八)により開版された版画に基づき、我が国平安時代末に玄証(一一四六~一二二二頃)周辺で描かれた白描図像であり、高山寺に伝来した。
 図中の額字及び下段の偈文により、本図が観音の二四種の応現の様を描いていることがわかるが、典拠は明らかではない。原本となった版画については、銭弘俶が「天下大元帥」と称した建隆元年(九六〇)から太平興国三年(九七八)の間に開版されており、開宝七年(九七四)杭州浄慈寺の延寿(九〇四~九七五)が銭弘俶の援助を受け「二十四応観音像」を開版していること(中国国家図書館・元照『永明智覚禅師方丈実録』)にかかわるとする説がある。このことは様式的にも首肯され、本図は、北宋・雍煕二年(九八五)に清凉寺・釈迦如来像に納入された版画「弥勒菩薩像」(高文進画、雍煕元年・九八四年開版)や版画「普賢菩薩像」・「文殊菩薩像」の形態に近似し、北宋初期の様式に連なる。また下段に記された真言の多くは延寿が日課として称えていたものであり(『慧日永明寺智覚禅師自行録』)、相互に関連のあることがわかる。
 本図の端裏には「応現観音 玄証(花押)本」「臺廿四箱」の墨書および「高山寺」朱文長方印があり、本図が平安時代末から鎌倉時代初期にかけて密教図像の書写、収集に努めた玄証所縁の画像であり、高山寺法鼓台経蔵に伝来したことが知られる。
 玄証の署名や花押を有する図像の多くは彼が住した高野山月上院から高山寺に移入された。これらの「玄証本」には玄証収集本と自筆本の二種のあることが知られる。自筆本には軽快な筆致で描かれた「紙本墨書梵天火羅図」(高山寺)や謹直な線描による「紙本白描先徳図像」(東京国立博物館)がある。本図の線描は原本の版画の刀による線を彷彿とさせる鋭さを有しており、これを玄証自筆本と見なすかについては俄に判断を下しがたい。一方、花押の変遷からは建久二年(一一九一)以前に玄証が伝領したことが知られる。この頃、玄証は「紙本白描毘沙門天図像」(根津美術館)等、宋本を含めた図像を盛んに収集している。
 本図は、呉越国における仏教思想及び仏画のあり方のみならず、これに続く北宋仏画の母胎となった絵画様式を知る上で貴重である。あわせて我が国の平安時代末において本図に代表される版画を含む宋本の伝写が鎌倉時代の仏教絵画の様式形成を準備したことを知る上でも重要である。
関連情報
    (情報の有無)
  附指定 なし
  一つ書 なし
  添付ファイル なし