国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
紙本著色洛中洛外図〈六曲屏風〉
ふりがな
:
しほんちゃくしょくらくちゅうらくがいず〈ろっきょくびょうぶ〉
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員数
:
一双
種別
:
絵画
国
:
日本
時代
:
桃山
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
各 縦 81.3センチメートル 横 265.2センチメートル
品質・形状
:
紙本著色 屏風装
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
2047
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2011.06.27(平成23.06.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
福岡県
所在地
:
福岡市早良区百道浜3-1-1
保管施設の名称
:
福岡市博物館
所有者名
:
福岡市
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
洛中洛外図は国宝一件重文五件が指定されている。そのうち徳川家康によって二条城の修築が行われた慶長八年(一六〇三)を遡る遺品としては、上杉本(平成七・六・一五国宝指定)、三条本(昭和一五・五・三重要文化財指定)、国立歴史民俗博物館本(平成六・六・二八重要文化財指定)がある。それ以降の作例では右隻に大仏殿、左隻に二条城を中心に描く洛中洛外図が数多く制作され、一つの定型を形作る。
本図の景観構成がこの新しい定型と決定的に異なる点は、大仏殿も二条城も描かない点である。本図右隻の洛中の景観は橋の南側の橋詰めの八幡と御影堂および寺町通り沿いの数軒の店という極めて限定された区域に過ぎず、洛外は清水寺から祇園社までに限られる。本図の左隻は賀茂川以西の区域が中心で、誓願寺から禁裏あたりまでを描いている。著名な名所は非常に小さく密画的に描かれ、寺院は省略されている。これと対照的に豊かな物産を商う店とそこを行き交う人びとは大きく近接拡大されて横に並べられ、本図の主眼となっている。すなわち本図は洛中と洛外の限定的な区域を大胆に取捨選択して編成したものであり、商工業の盛んな都の活況を拡大して、あたかも都の多彩な物産を陳列するショーウインドウを覗くような楽しみを狙うかのようである。大仏殿と二条城とを対置する洛中洛外図がいわば天下の権を示すものであったのに対し、両者不在の本図は、政権が江戸に去った後の洛中洛外図にあらわれた大きな変化を表している。
本図は人物の緻密な表現と工芸品などの事物の精緻な描写が特色で、人物表現や松の描法の特色等から狩野孝信(一五七一~一六一八)の作とする有力な説がある。本図に元和四年(一六一八)に没した孝信の関与があるとすれば制作年代も桃山時代の可能性が高い。
四季、名所、人事の諸相を統合的に網羅した三条本、上杉本のようなあり方から、次第に要素を限定し特定の物を主題とする作品へと向かった洛中洛外図の展開を示す作例として、また都の民衆風俗の賑わいを主眼とする洛中洛外図の一変型として、本図は近世初期風俗画史上に重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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解説文
洛中洛外図は国宝一件重文五件が指定されている。そのうち徳川家康によって二条城の修築が行われた慶長八年(一六〇三)を遡る遺品としては、上杉本(平成七・六・一五国宝指定)、三条本(昭和一五・五・三重要文化財指定)、国立歴史民俗博物館本(平成六・六・二八重要文化財指定)がある。それ以降の作例では右隻に大仏殿、左隻に二条城を中心に描く洛中洛外図が数多く制作され、一つの定型を形作る。 本図の景観構成がこの新しい定型と決定的に異なる点は、大仏殿も二条城も描かない点である。本図右隻の洛中の景観は橋の南側の橋詰めの八幡と御影堂および寺町通り沿いの数軒の店という極めて限定された区域に過ぎず、洛外は清水寺から祇園社までに限られる。本図の左隻は賀茂川以西の区域が中心で、誓願寺から禁裏あたりまでを描いている。著名な名所は非常に小さく密画的に描かれ、寺院は省略されている。これと対照的に豊かな物産を商う店とそこを行き交う人びとは大きく近接拡大されて横に並べられ、本図の主眼となっている。すなわち本図は洛中と洛外の限定的な区域を大胆に取捨選択して編成したものであり、商工業の盛んな都の活況を拡大して、あたかも都の多彩な物産を陳列するショーウインドウを覗くような楽しみを狙うかのようである。大仏殿と二条城とを対置する洛中洛外図がいわば天下の権を示すものであったのに対し、両者不在の本図は、政権が江戸に去った後の洛中洛外図にあらわれた大きな変化を表している。 本図は人物の緻密な表現と工芸品などの事物の精緻な描写が特色で、人物表現や松の描法の特色等から狩野孝信(一五七一~一六一八)の作とする有力な説がある。本図に元和四年(一六一八)に没した孝信の関与があるとすれば制作年代も桃山時代の可能性が高い。 四季、名所、人事の諸相を統合的に網羅した三条本、上杉本のようなあり方から、次第に要素を限定し特定の物を主題とする作品へと向かった洛中洛外図の展開を示す作例として、また都の民衆風俗の賑わいを主眼とする洛中洛外図の一変型として、本図は近世初期風俗画史上に重要である。