国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
木造十一面観音立像
ふりがな
:
もくぞうじゅういちめんかんのんりゅうぞう
解説表示▶
員数
:
1躯
種別
:
彫刻
国
:
時代
:
奈良
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
3578
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2011.06.27(平成23.06.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
安祥寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
奈良時代末期に遡るとみられる像で、前方に湾曲した榧の一木を用い、その湾曲をそのまま頭部の前傾としている。2メートルを超す像高は奈良時代木彫像としては最大級の大きさである。額半ばより上や両臂より先などが後補となるが、保存状態は良好といえる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
奈良時代末期に遡るとみられる像で、前方に湾曲した榧の一木を用い、その湾曲をそのまま頭部の前傾としている。2メートルを超す像高は奈良時代木彫像としては最大級の大きさである。額半ばより上や両臂より先などが後補となるが、保存状態は良好といえる。
詳細解説▶
詳細解説
頭上に十一面を戴く通形【つうぎょう】の十一面観音立像である。額半より上が後補となるが、現状と同じく髪際高【はつさいこう】で測る七尺像として造られたかとみられる。安祥寺の本尊として本堂須弥壇上厨子内に安置され、近年の学術調査・修理によってその概要が知られるところとなった。構造は、頭躰幹部を榧の一木から造るが、その材は全体に前方に湾曲したもので、頭部で特に大きく、これを頭部の前傾角度として用いている。背板は上背部及腰下に当てる。上背部分は、頸から胸にかけて存在するウロを覆うようにして頭部中央から胸高まで当てる。腰下分は腰以下のウロを利用したかとみられる内刳に当てる。左腕は臂・手首、右腕は臂で矧ぐ。正面脛以下の中央部に足先・像底角枘【ほぞ】を含む補材を当てる。表面は中世の修理時のものと思われる漆箔に覆われているものの、その下の一部や当初のものとみられる別置の左足先に木屎漆の盛上が認められることから、当初は乾漆を併用した表面仕上げであったものとみられる。 その腰高の像容は、奈良・薬師寺十一面観音像(重要文化財)、和歌山・圓満寺十一面観音像(重要文化財)、奈良・金剛山寺十一面観音像(重要文化財)等に通じ、裙背面の左右に縦に並べ刻まれた茶杓形【ちゃしゃくがた】衣文は圓満寺像、金剛山寺像や唐招提寺木彫群のうち、伝衆宝王菩薩像(重要文化財)、奈良・大安寺伝楊柳観音像(重要文化財)等と同様である。また、胸飾の列弁を二段に重ねる意匠は唐招提寺伝獅子吼菩薩像(重要文化財)の天冠台にみられるものである。金剛山寺像とは両脚の間の衣文および衣縁の形も類似している。このように本像の作風には奈良時代風が濃厚に認められ、いわゆる翻波式衣文を表さないことからしてもその末期までには造られていたと思われる。 本像の伝来した安祥寺は真言僧・恵運【えうん】(七九八~八六九)が仁明天皇女御順子【じゅんし】(八〇九~七一)の帰依を受けて、嘉祥元年(八四八)に創建した寺院であり、本像の製作年代は安祥寺の創建を遡る。また、貞観九年(八六七)勘録【かんろく】の『安祥寺資財帳』にも本像に該当する記載はなく、当初の安置場所は詳らかでない。しかしながら寺のある山科の地は山階寺等の奈良時代以前創建寺院の存在が知られ、本像のごとき古像が伝えられるにふさわしい場所といえる。 前記のほか両前膊や正面足部などが後補にかわるものの、当初の像容はよくうかがえる。奈良時代の巨大な一木彫像として極めて貴重であり、木取の仕方など構造の点でも興味深い作例として評価される。