国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
反射望遠鏡
ふりがな
:
はんしゃぼうえんきょう
反射望遠鏡
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員数
:
1基
種別
:
歴史資料
国
:
日本
時代
:
江戸
年代
:
天保4年
西暦
:
1834
作者
:
国友一貫斎
寸法・重量
:
最大長43.4㎝、総高43.0㎝
品質・形状
:
黄銅・青銅・ガラス製
ト書
:
国友一貫斎作、天保五年
画賛・奥書・銘文等
:
(鏡筒下面銘文) 「天保五〈甲/午〉歳初夏始而造之/江州国友眠龍能当(花押)」
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
00170
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2012.09.06(平成24.09.06)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
長野県
所在地
:
長野県上田市二の丸3-3
保管施設の名称
:
上田市立博物館
所有者名
:
上田市
管理団体・管理責任者名
:
反射望遠鏡
解説文:
詳細解説
我が国ではじめて製作された反射望遠鏡。天保5年(1834)鉄砲鍛冶国友一貫斎(1778~1840)の製作。一貫斎は同様の反射望遠鏡を6台程度製作したとされるが、上田市立博物館所蔵のものは「天保五甲午歳初夏 始而造之 江州国友眠竜能当(花押)」の刻銘を有し、第一号機とされる。材質は鏡筒・接眼筒・架台ともに真鍮製、木製回転台、太陽観測用ゾンガラスが付属。構造はグレゴリー式の反射望遠鏡で、倍率は約70倍。幕府天文方も蘭製に優ると高く評価。今日でも使用可能な状態を保つ主・副反射鏡は銅約63パーセント、錫約37パーセントの特殊合金製(原子間結合による金属間化合物)であり、金属工学的にも技術の到達点の高さを示す。一貫斎の反射望遠鏡は他に、生家、長浜城博物館、彦根城博物館の三基が現存する。生家のものは反射望遠鏡の他、これによる太陽黒点、月面等の天体観察記録、本業の鉄砲関係資料等が豊富であるが、本格的な調査が困難とも言われる。彦根城博物館のものは望遠鏡単体である。この上田市立博物館所蔵品は、第一号機とされるほか、状態も良く付属品類も良く残っている。漆塗りの箱には諏訪藩主諏訪家の家紋である梶の葉が描かれ、諏訪家伝来のものであることが知られる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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反射望遠鏡
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反射望遠鏡
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解説文
我が国ではじめて製作された反射望遠鏡。天保5年(1834)鉄砲鍛冶国友一貫斎(1778~1840)の製作。一貫斎は同様の反射望遠鏡を6台程度製作したとされるが、上田市立博物館所蔵のものは「天保五甲午歳初夏 始而造之 江州国友眠竜能当(花押)」の刻銘を有し、第一号機とされる。材質は鏡筒・接眼筒・架台ともに真鍮製、木製回転台、太陽観測用ゾンガラスが付属。構造はグレゴリー式の反射望遠鏡で、倍率は約70倍。幕府天文方も蘭製に優ると高く評価。今日でも使用可能な状態を保つ主・副反射鏡は銅約63パーセント、錫約37パーセントの特殊合金製(原子間結合による金属間化合物)であり、金属工学的にも技術の到達点の高さを示す。一貫斎の反射望遠鏡は他に、生家、長浜城博物館、彦根城博物館の三基が現存する。生家のものは反射望遠鏡の他、これによる太陽黒点、月面等の天体観察記録、本業の鉄砲関係資料等が豊富であるが、本格的な調査が困難とも言われる。彦根城博物館のものは望遠鏡単体である。この上田市立博物館所蔵品は、第一号機とされるほか、状態も良く付属品類も良く残っている。漆塗りの箱には諏訪藩主諏訪家の家紋である梶の葉が描かれ、諏訪家伝来のものであることが知られる。
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詳細解説
国友一貫斎(1778~1840)が天保5年(1834)に製作した反射望遠鏡一号機であり、我が国で製作された最古のものである。 国友一貫斎は、近江国坂田郡国友村(現長浜市国友町)に戦国時代から続く国友鉄砲鍛冶の一家に生まれた。幼名は藤一、後に藤兵衛を襲名。また、自ら一貫斎、眠龍、能当とも号した。名は重恭。寛政6年(1794)17歳で家督を相続し、家業の鉄砲鍛冶として活躍したほか、最新の知識と高度な技術を駆使した器機の発明者、製作者として知られる。 一貫斎が、鉄砲以外の様々な器機を製作する契機となったのは、彦根藩が一貫斎に直接大筒を発注したことに端を発する所謂「彦根事件」である。この訴訟のため一貫斎は、文化13年(1816)から文政4年(1821)まで足掛け6年にわたり江戸に滞在し、多くの知識人と交わり、大名家に出入りして舶載の器機を実見するなど、内外の最新の科学技術情報を得た。反射望遠鏡を実見したのも江戸滞在中の文政3年(1820)末から翌4年のことで、尾張犬山藩第七代藩主成瀬正壽(1782~1838)のオランダ製のものであったとされる。 一貫斎は反射望遠鏡を六基程度製作したと考えられ、長浜城歴史博物館、彦根城博物館、国友藤兵衛(一貫斎)家と、今次提案の上田市所有の合計四基が現存する。 提案の反射望遠鏡は、鏡筒下面中央部に「天保五〈甲/午〉歳初夏始而造之/江州国友眠龍能当(花押)」の刻銘を有し、この銘文により本機は国友反射望遠鏡の第一号機とされる。機構面でも、架台の雲台及び支柱の形式が現存する四基中で最も早い段階の特徴を示している。本提案望遠鏡の架台部がボールヘッドを用いた自由雲台形式で、支柱も一段固定式であるのに対し、他の三基の雲台はいずれも縦型円盤形式で、彦根城博物館および国友家の支柱は回転可能な二段式であるなどの相違が認められる。この雲台と支柱の相違は、鏡筒の旋回を垂直軸回転と水平軸回転に分解したことを意味し、望遠鏡の操作性の向上に係る改良と考えられる。 国友一貫斎文書中の「テレスコップ遠眼鏡之図」(天保7年)にも縦型円盤形式の雲台と二段式支柱が描かれており、この二点が架台部の発展形式を特徴付けている。年紀を欠く彦根城博物館および国友家に蔵される二基はこの形式である。 以上のように本機は、その銘文が国友反射望遠鏡の第一号機であることを示すほか、機構面でも現存四基中の最初期に位置するものである。 本機は、鏡筒内部に凹面鏡の主鏡とこれに正対する凹面鏡の副鏡を設け、副鏡からの光軸を主鏡中央開口部から鏡筒後部の接眼鏡に導くグレゴリー式反射望遠鏡である。 本機の材質は、鏡筒、接眼鏡筒、架台ともに黄銅製である。鏡筒および接眼鏡筒は黄銅板を円筒状に加工して用いる。鏡筒上部両端にはリング状の照準が付く(先端部照準は折損)。焦点調整は、鏡筒上面のシャフトを菊花様のつまみで回転させ、副鏡を前後方向に移動して行う。 冨田良雄氏らの調査によれば、望遠鏡の性能を決定付ける主鏡と副鏡はともに青銅製で、主鏡は有効径60.0ミリ、焦点距離251ミリ、副鏡は有効径5.5ミリ、焦点距離16ミリである。この二つの鏡面は170年余を経た今日でも曇らず、輝きを保っている。前述の調査によれば、銅67パーセント、錫33パーセントの組成をもつ高錫青銅であり、これは銅と錫が混じり合った通常の青銅合金でなく、銅原子と錫原子が結合する金属間化合物であるとされ、現代の技術でも製作は困難を窮めるという。接眼レンズは二枚構成のハイゲンス式と呼ばれる形式である。その素材はかつて水晶とされたが、ソーダガラスおよびボヘミアガラス系の硬質なガラスの異なる二種類のガラスが使用されている。主鏡、副鏡、レンズの素材の製造および研磨等の加工は、一貫斎の豊富な知識、技術を駆使したものである。その結果、本機はおよそ63倍という当時としては類例のない高倍率を達成し、良好な画像を得ることに成功している。 河野久太郎通義(1791~1851)宛書状(年次不明、金沢市立玉川図書館近世史料館蔵)に一貫斎は「蘭製之テレスコッフト見くらへ候所蘭製之方ハ少しアカルク候得共ものきわ少しもや付、私製之方ハもや付不仕、扨業の大キサ私製之方ハ蘭製之バイ大キク見江引付も余程宜敷、間氏大感心ニ御座候」と一貫斎の反射望遠鏡を実見した間五郎兵衛重新(1786~1838)の評価を伝えている。 また、本機に付属するゾンガラスは太陽の観察に用いるものであるが、一貫斎は自作の反射望遠鏡とゾンガラスを用いて我が国で初めて太陽黒点の観察を行い、天保6年正月6日から翌年2月8日までの間の158分の観察記録を遺している。 本機の伝来に関しては、付属する収納箱の上面に描かれた丸に梶の葉の紋により、諏訪高島藩旧蔵のものと判断される。また、同収納箱には、明治天皇が明治13年(1880)に長野県内を巡幸された際に、天覧に供された旨の墨書紙片が貼付され、出品人として東筑摩郡南深志町(現松本市)の等々力轟の名が記される。等々力轟は、幕末期に陰陽道と暦学を学び、維新後には天文学の専門家として身を立てようとした人物とされる。上田市へ昭和12年9月、上田市内在住の等々力憲より寄付されたが、この等々力憲は轟の子息である。 なお、附とした覚書は、昭和12年に有馬成甫が本件反射望遠鏡を調査した際に発見したものでこの覚書には「三ツ玉」(三枚レンズ構成の接眼鏡)の断面図が記され、現状の二ツ玉より高倍率の接眼鏡が存在した可能性を示唆するものとして注目される。また、二ツ玉および三ツ玉を用いた場合のそれぞれの焦点調整用の指標が図示されている。この指標の図は本件反射望遠鏡に施された陰刻の指標と一致し、本件反射望遠鏡に係る情報として重要である。本機には、前述のゾンガラス(桐箱入)、収納箱のほか、傾斜台、回転台、工具(ドライバー、スパナ)などが付属し、当初の姿をよく保っている。
関連情報
附指定
覚書
関連情報
附指定
附名称
:
覚書
附員数
:
1通
附ト書
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