国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
絹本著色聖徳太子勝鬘経講讃図
ふりがな
:
けんぽんちゃくしょくしょうとくたいししょうまんぎょうこうさんず
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員数
:
1面
種別
:
絵画
国
:
日本
時代
:
鎌倉
年代
:
13世紀
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
縦210.5cm 横177.4cm
品質・形状
:
絹本著色 額装
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
2059
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2013.06.19(平成25.06.19)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
奈良県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
宗教法人法隆寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
聖徳太子が35歳の折に推古天皇のために勝鬘経を講説したとされる場面を描く。
全体に傷みが甚だしいが、部分的に確認できる彩色文様などの描写からは平安絵画の余風をうかがうことができ、鎌倉時代初期に活躍した南都絵仏師の尊智筆と伝承されている。
現存する勝鬘経講讃図のうちでは最大規模、最古本の作例で、後世の作品に与えた影響も大きい。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
聖徳太子が35歳の折に推古天皇のために勝鬘経を講説したとされる場面を描く。 全体に傷みが甚だしいが、部分的に確認できる彩色文様などの描写からは平安絵画の余風をうかがうことができ、鎌倉時代初期に活躍した南都絵仏師の尊智筆と伝承されている。 現存する勝鬘経講讃図のうちでは最大規模、最古本の作例で、後世の作品に与えた影響も大きい。
詳細解説▶
詳細解説
『日本書紀』推古天皇十四年(六〇六)七月条は、天皇が聖徳太子に勝鬘経を講説させたことを伝える。太子による勝鬘経講説の様子は、法隆寺では平安後期以降、単独の画題として描かれた。すなわち大江親通『七大寺日記』法隆寺条には、上宮王院に恵慈、蘇我馬子、小野妹子、呉徳博士等を伴う「太子俗形絵像影」が安置されたことが記され、『法隆寺別当記』には承久四年(一二二二)三月に尊智法眼が描いた太子御影(勝鬘経講讃図)が舎利殿に安置されたことを伝える。 本図は、堂内中央に冕冠を被り袍に袈裟を重ね、右手は机上の経巻に手を添え、左手は塵尾の柄を執る太子を描く。周囲には山背大兄皇子、恵慈、学哿、蘇我馬子、小野妹子の五臣を配す。場面構成は鎌倉時代に制作された兵庫・斑鳩寺所蔵本と、屋形の造作は省略されるものの共通しており、一定の規範が存在したと想像される。また法隆寺献納宝物の「勝鬘経」見返絵は小品ながらも図様を比較することが可能な作例である。 着衣文様等に截金金泥を用いず彩色文様のみで構成する点は、南都仏画の特徴と解釈できるが、同時に古様な表現様式の余風を伝えており、中大兄皇子や恵慈の着衣等にみられる彩色文様、学哿の冠に認める菱文様、馬子の黒袍にみられる花唐草文様等の表現は、平安時代制作の祖本の影響かと想像される。ただ各人の面相部の描写にはやや硬い描線がみられ、制作は鎌倉時代前半と考えるのが妥当である。 尊智は鎌倉初期を代表する南都絵仏師だが、確実な遺品を指摘できない。尊智筆太子御影が承久四年に舎利殿に安置され、これが本図とする可能性がこれまでにも検討されてきたが、断定できない。法隆寺には本図と同規模の別本が現存しており、東院伽藍内に複数の勝鬘経講讃図が安置されていたとする記録もある。 いずれにしても本図は法隆寺に現存する勝鬘経講讃図としては最古にして最大の遺例であり、また人物の配置位置や体勢など後世の同画題作品や太子絵伝中の図様に与えた規範性を示す古例として重要である。損傷が甚だしいことが惜しまれるが、その文化史的意義は大きい。