国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
絹本著色雪舟等楊像〈雲谷等益筆/〉
ふりがな
:
けんぽんちゃくしょくせっしゅうとうようぞう〈うんこくとうえきひつ/〉
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員数
:
1幅
種別
:
絵画
国
:
時代
:
江戸時代
年代
:
西暦
:
作者
:
雲谷等益
寸法・重量
:
縦104.9センチ 横34.2センチ
品質・形状
:
絹本著色 掛幅装
ト書
:
玉舟宗璠の追賛がある
画賛・奥書・銘文等
:
「優遊自在」(朱文長方印)
雪舟等楊座元像
遠離慧日峯、座天童
第一、騖金玉名誉、得
丹青精神、
識佛曽記這人麼
向一毫端、現寶王刹、
坐微塵裡、轉大法輪、
前住龍峯玉舟 宗璠「宗源一滴」(白文方印)「春睡」(朱文鼎印)」
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
2118
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2023.06.27(令和5.06.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
山口県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
室町時代の画僧・雪舟の肖像画で、江戸時代初期の萩藩絵師・雲谷等益(1591~1644)の代表作として知られる作例である。使用印から等益晩年の作とみられ、等益が次男・等爾(1615~1671)に付与し、等益没後に等爾が大徳寺185世・玉舟宗璠(1600~1668)の賛を得た可能性が指摘される。雪舟末流として江戸時代を通じ独特の存在感を示し続けた雲谷派にとって、画祖・雪舟の肖像画には特別な意味があったはずで、本作はその一端を示す好資料としても高く評価される。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
室町時代の画僧・雪舟の肖像画で、江戸時代初期の萩藩絵師・雲谷等益(1591~1644)の代表作として知られる作例である。使用印から等益晩年の作とみられ、等益が次男・等爾(1615~1671)に付与し、等益没後に等爾が大徳寺185世・玉舟宗璠(1600~1668)の賛を得た可能性が指摘される。雪舟末流として江戸時代を通じ独特の存在感を示し続けた雲谷派にとって、画祖・雪舟の肖像画には特別な意味があったはずで、本作はその一端を示す好資料としても高く評価される。
詳細解説▶
詳細解説
室町時代の画僧・雪舟(1420~1502/6頃)の肖像画で、雪舟自画像を典拠とする同じ図像の作例が数点知られている。本作はその一例で、江戸時代初期の萩藩絵師・雲谷等益(1591~1644)によるものである。 等益は雲谷派の二代目で、積極的に「雪舟四代孫」を称し、父の等顔(1547~1618)とは異なる表現様式を本家・分家・弟子家に浸透させ、幕末まで続いた雲谷派の体制的・様式的基盤を確立した。等顔が雪舟の旧居・雲谷軒の土地と雪舟筆「四季山水図」(国宝、山口・毛利報公会蔵、以下、「山水長巻」)を得たことで成立した雲谷派であるが、等益の活動により、雲谷派は幕末にいたるまで雪舟末流として全国的に一目置かれる画派となった。 本作は図中に捺された「雲谷」印の形状から、等益晩年の作とわかる。また図上には玉舟宗璠(1600~68)の賛がある。玉舟は慶安二年(1649)に大徳寺185世となったので、等益没後の追賛である。本作の制作と追賛の経緯は知られていないが、等益の長男・等与(1612~68)が「山水長巻」原本を相続することに対して、等益が副本を作成して次男・等爾(1615~71)に与え、等益没後に等爾が大徳寺僧から跋文を得たという事実は参考となる。画祖・雪舟の自画像に基づく画像が、雲谷軒の土地と山水長巻に加わることで、雲谷派の正統性はより強固なものとなる。つまり本作の制作には、雲谷派を雪舟末流に位置づけることを強く意識した等益の意図があると考えるのが自然であり、追賛にも等益の遺志をさらに強化する、おそらく等爾の意図があったと考えることは可能であろう。 以上本作は、等益による「山水長巻」副本(山口・毛利報公会蔵)や等与による「雪舟等楊像」(山口・個人蔵)と並び、近世における雪舟受容を考える上で欠かせないものであり、画派形成の具体を伝える絵画作品として、また流派における画祖像の希少な現存例として高く評価することができる。