国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
更級日記〈藤原定家筆/〉
附 波に月蒔絵冊子箱
ふりがな
:
さらしなにっき〈ふじわらのさだいえひつ/〉
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員数
:
1帖
種別
:
書跡・典籍
国
:
日本
時代
:
鎌倉時代
年代
:
西暦
:
作者
:
藤原定家
寸法・重量
:
縦16.4 横14.5
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
283
枝番
:
国宝・重文区分
:
国宝
重文指定年月日
:
国宝指定年月日
:
2023.06.27(令和5.06.27)
追加年月日
:
所在都道府県
:
東京都
所在地
:
東京都千代田区千代田
保管施設の名称
:
皇居三の丸尚蔵館
所有者名
:
国(文化庁保管)
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
本書は、藤原定家(一一六二~一二四一)自筆による『更級日記』の写本である。また、定家は不審箇所に朱を付し、勘物を加えたことを奥書に記した。本書の書写時期は『明月記』の記述から、寛喜二年(一二三〇)より後と見られる。
『更級日記』は難解な作品として知られていたが、これが錯簡によるものであることが近代に入って明らかとなり、この錯簡が写本、版本全てに踏襲されていたため、本書が『更級日記』唯一の祖本であることも明らかとなった。記録から、後西天皇(在位一六五四~一六六三)の御物本であったことが知られている。
本書は、『更級日記』本文を伝える最古写本として、又、唯一の祖本として、そして、定家による写本、校勘本として、我が国の文学史上に極めて価値が高い資料である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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解説文
本書は、藤原定家(一一六二~一二四一)自筆による『更級日記』の写本である。また、定家は不審箇所に朱を付し、勘物を加えたことを奥書に記した。本書の書写時期は『明月記』の記述から、寛喜二年(一二三〇)より後と見られる。 『更級日記』は難解な作品として知られていたが、これが錯簡によるものであることが近代に入って明らかとなり、この錯簡が写本、版本全てに踏襲されていたため、本書が『更級日記』唯一の祖本であることも明らかとなった。記録から、後西天皇(在位一六五四~一六六三)の御物本であったことが知られている。 本書は、『更級日記』本文を伝える最古写本として、又、唯一の祖本として、そして、定家による写本、校勘本として、我が国の文学史上に極めて価値が高い資料である。
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詳細解説
『更級日記』は菅原孝標女(一〇〇八~一〇五九?)が著した日記体裁の回想記で、およそ四〇年間の記事からなる。彼女が詠み込んだ歌枕「姨捨」に因んで、『更級日記』と呼ばれるようになったとされている。 本書は奥書等から、藤原定家(一一六二~一二四一)による写本であることがわかる。定家は入手した『更級日記』の「草子」を貸与したが、その相手が紛失してしまったため、貸与した相手が書写した本から再び転写したこと、伝写の間に生じた誤字が多いため、不審箇所に朱を付し、さらに勘物を加えたと奥書に記した。本書の書写時期は不明であるが、『明月記』の記述から、寛喜二年(一二三〇)より後と見られる。 現在、本書以外の『更級日記』の写本・刊本は多数存在するが、いずれも江戸時代以後のものである。これらによって流布した『更級日記』は難解な作品として知られていたが、大正十三年に佐佐木信綱氏、玉井幸助氏らによる本書の調査で錯簡が明らかとなり、翌年にそれらを復原した本文が公表されたことで、研究が進展した。それによると、本書は現状で全一〇括の綴葉装で、第一括・第二括と第七括以降は順序通りであるが、内容上中間の第三括から第六括は「第六括・第五括・第三括・第四括」の順となり、第六括の第一紙から第五紙は「第四紙・第五紙・第一紙・第二紙・第三紙」の順に重ね直すべきものとなる。この錯簡は写本、版本全てにおいて踏襲されており、本書が現在知られる『更級日記』本文の唯一の祖本であることが知られる。 伝来については、東園基量の記した「基量卿記」に、後西天皇(在位一六五四~一六六三)の遺品である「さらしな記〈定家卿筆〉」が霊元天皇(在位一六六三~一六八七)によって引き継がれたと記されていることから、後西天皇らの御物本であったことが知られる。 本書は、『更級日記』本文を伝える最古写本であり、唯一の祖本として重要な役割を果たした。また、定家による写本、校勘本として、その活動を知ることができる貴重な資料であり、我が国の文学史上に極めて価値が高い資料である。