国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
摂津勝尾寺旧境内膀示八天石蔵出土品
ふりがな
:
せっつかつおでらきゅうけいだいぼうじはちてんいしぐらしゅつどひん
解説表示▶
員数
:
一括
種別
:
考古資料
国
:
日本
時代
:
鎌倉
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
00429
枝番
:
00
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1987.06.06(昭和62.06.06)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
大阪府
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
勝尾寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
昭和三十七年の発掘調査によって、四天王・四明王各一躯の仏像を、各々陶製外容器に入れて納置した、八か所の石蔵の実態が明らかにされた。本件はその出土遺品の一括である。
四天王像と四明王像は、総高三〇センチ前後の小型、銅鋳で、後者の法量が稍々大であり、また作風も太造りで衣の動きも大きくより優れている。しかし本躰と光背、台座の接合方法、銅質等は八躯とも共通し、一具同時の制作とみられる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
一つ書
添付ファイル
なし
解説文
昭和三十七年の発掘調査によって、四天王・四明王各一躯の仏像を、各々陶製外容器に入れて納置した、八か所の石蔵の実態が明らかにされた。本件はその出土遺品の一括である。 四天王像と四明王像は、総高三〇センチ前後の小型、銅鋳で、後者の法量が稍々大であり、また作風も太造りで衣の動きも大きくより優れている。しかし本躰と光背、台座の接合方法、銅質等は八躯とも共通し、一具同時の制作とみられる。
詳細解説▶
詳細解説
勝尾寺は、平安時代末期には大和大峯山、熊野那智山とともに山岳仏教の拠点として名を知られ、隆盛をきわめた。しかし中世に入ると、荘園領主、寺家等に対する反抗勢力が抬頭し、彼らによる寺領侵犯もみられ、寺地の四至〓示【ししぼうじ】に深い関心が払われてくる。その様相は勝尾寺文書に散見するが、なかでも寛喜二年後正月「勝尾寺四至注文」には、四至と四角四天王石蔵事【しすみしてんのういしぐらのこと】がみえ、同年の「太政官牒」等にもその状況が伝えられている。 この勝尾寺〓示石蔵の内容は、近年までほとんど不明であったが、昭和三十七年の発掘調査によって、四天王・四明王各一躯の仏像を、各々陶製外容器に入れて納置した、八か所の石蔵の実態が明らかにされた。本件はその出土遺品の一括である。 四天王像と四明王像は、総高三〇センチ前後の小型、銅鋳で、後者の法量が稍々大であり、また作風も太造りで衣の動きも大きくより優れている。しかし本躰と光背、台座の接合方法、銅質等は八躯とも共通し、一具同時の制作とみられる。また、陶製外容器は、八箇共同巧同大のつくりで、素地の特徴から信楽【しがらき】焼の範疇で捉えることが可能だが、類例のない形態を呈している。 寺領や荘園の四至〓示の実態については、従来不明な点が多かったなかで、本遺品はその実相を初めて明らかにしたものであり、学術的価値が高く、貴重である。 なお、本遺品を出土した石蔵は、昭和四十一年、「勝尾寺旧境内〓示八天石蔵および町石」として史跡指定されている。
関連情報
附指定
土師器〈残欠共/〉
関連情報
一つ書
一、銅造四天王・四明王像
一、陶製外容器
関連情報
附指定
附名称
:
土師器〈残欠共/〉
附員数
:
一括
附ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、銅造四天王・四明王像
一つ書員数
:
八躯
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、陶製外容器
一つ書員数
:
八合
ト書
: