国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
突線袈裟襷文銅鐸/徳島県徳島市国府町矢野遺跡出土
ふりがな
:
とっせんけさだすきもんどうたく/とくしまけんとくしまし
突線袈裟襷文銅鐸
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員数
:
1口
種別
:
考古資料
国
:
日本
時代
:
弥生
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
徳島県徳島市国府町矢野遺跡出土
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
00504
枝番
:
00
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1995.06.15(平成7.06.15)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
徳島県
所在地
:
徳島県板野郡板野町犬伏字平山86番地2
保管施設の名称
:
徳島県立埋蔵文化財総合センター
所有者名
:
徳島県
管理団体・管理責任者名
:
突線袈裟襷文銅鐸
解説文:
詳細解説
銅鋳造。鐸身の裾が緩やかに開く、肉薄なつくりの大形銅鐸である。
鐸身断面は正円に近く、鋳上がりは非常に良好で、ほとんど鬆も認められない。鐸身裾の一部と飾耳一箇を欠くほかは、完存する。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
突線袈裟襷文銅鐸
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突線袈裟襷文銅鐸
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解説文
銅鋳造。鐸身の裾が緩やかに開く、肉薄なつくりの大形銅鐸である。 鐸身断面は正円に近く、鋳上がりは非常に良好で、ほとんど鬆も認められない。鐸身裾の一部と飾耳一箇を欠くほかは、完存する。
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詳細解説
銅鋳造。鐸身【たくしん】の裾が緩やかに開く、肉薄なつくりの大形銅鐸である。 鐸身断面は正円に近く、鋳上がりは非常に良好で、ほとんど鬆【す】も認められない。鐸身裾の一部と飾耳【かざりみみ】一箇を欠くほかは、完存する。 鈕【ちゆう】は突線鈕式【とつせんちゆうしき】で、外縁に双頭渦文【そうとうかもん】が鋳出された三箇の飾耳があり、鈕孔【ちゆうこう】の下部には数条の突線が鋳出された鈕脚壁【ちゆうきやくへき】がある。鐸身は斜格子文を施した四横帯と、三縦帯で六区画の袈裟襷文を構成する。この下には鋸歯文帯【きよしもんたい】、下辺横線帯・広い無文部を隔てて、緩やかな弧状に成形された裾部に至る。袈裟襷文部分は、横帯・縦帯とも輪郭を二本ずつの区画突線で縁取り、中軸には三本一組のひときわ太い軸突線が上下を貫く。区画の内側には文様や絵画はない。最上部の区画内と鐸身裾には長方形の型持孔【かたもちあな】が、表裏に各四箇所ずつ穿たれる。片面の文様割付けは、全体にやや右下がりに傾いている。鰭【ひれ】の左右には二箇一対の半円形の飾耳が三組ずつ付き、それぞれに五~六条の孤線文が描かれる。 内面には裾から一四センチの内外の位置に幅〇・六~一・〇センチの内面突帯【ないめんとつたい】が一条めぐるが、これは細く、痕跡的である。銅鐸の型式分類では最終段階の「近畿式C系列」であり、文様構成等は、和歌山県南部川村【みなべかわむら】出土の雨晴山銅鐸に近い。 本件を出土した矢野遺跡は、吉野川の支流、鮎喰【あくい】川の左岸に所在し、周辺には銅鐸を出土した名東【みようどう】遺跡や、阿波国分寺跡、阿波国府跡等がある。調査は平成四年から、国道建設に先立って実施され、同年度内に三、六三〇平方メートルが発掘され、弥生時代と古墳時代以降の、二時期の遺構面が検出された。弥生時代の遺構には、住居跡・土壙・溝があり、調査は近隣の地点で現在も継続されている。 本銅鐸は、弥生時代の遺物包含層を調査中、鰭の部分が発見され、精査の結果、埋納坑【まいのうこう】を伴うことが明らかにされた。埋納坑は長径一三七センチ、短径六一センチ、遺構確認面からの深さ五〇センチで、砂礫層を掘り込んで構築されていた。銅鐸は、この坑の中央に横倒しに、鰭を上下に立てた状態で埋納されていた。さらに注目されるのは、銅鐸を取り巻く埋め土の観察所見である。すなわち、銅鐸の周囲には色調が異なり、微細な木炭粒の多い、二重の黒褐色砂質土が銅鐸全体を包み込むように、五~一一センチの厚さで検出されたのである。このことは、木質の遺存こそないが、当初、銅鐸が何らかの木製容器に収容され、容器ごとこの地に埋納された可能性を示している。さらに、埋納坑の周囲には七箇の柱穴跡【ちゆうけつあと】が検出され、覆屋【おおいや】の存在も推測されている。 近年、発掘調査で埋納状態が確認された銅鐸は幾つかあるが、本件は、これらのなかでも銅鐸の遺存状態がよく、その埋納状態を特に具体的に知ることができる好例であり、その学術的価値は高い。