国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
調布
ふりがな
:
ちょうふ
解説表示▶
員数
:
2枚
種別
:
歴史資料
国
:
日本
時代
:
奈良
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
内一枚、天平勝宝四年十月常陸国信太郡貢進墨書
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
00032
枝番
:
0
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1986.06.06(昭和61.06.06)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
奈良県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
法隆寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
法隆寺に伝来した奈良時代の二枚の麻布である。
墨書のある一枚は、経緯ともほぼ同程度の太さで、織耳を存し、古代の織り幅をそのまま伝え、長さは裁断されているが、一方の端を存している。その端から約三センチのところに「常陸國信太郡中家郷大伴部中万呂調一端〈専當國司史生八位上志貴連秋島大/郡司擬主物部川天平勝寶四年十〉月」と墨書があり、天平勝宝【(政脱力)】四年(七五二)十月常陸国信太郡より朝廷に調布として貢進されたことを示している。墨書の上部には朱印(方約六センチ)が一つおされ、印文は判読できないが、他の遺例等よりみて「常陸國印」と考えられる。
他の一枚は、糸質は前者とほぼ同様で、長さは両端とも裁断されているが、これも織耳を存し、製作時の織り幅を伝えている。墨書はないが、前者とほぼ同じ頃に織られたものと認められる。
前者は幅約六一・五センチの状態で端を折って用いられていた跡があり、後者は朽損の状態からみて縦に二つ折りにして使用されていた形跡がある。いずれもその寸法や他の遺品等よりみて、褥の芯布として用いられたものと思われる。
古代、律令の税制による調は、さまざまな品目で納められたが、布の場合は養老元年(七一七)十二月格によって長さを二丈八尺と定め、庸布一丈四尺とあわせて四丈二尺(約一二・四メートル)で一端とされた。現存する遺品の墨書等でも調布の多くは四丈二尺とされ、この法隆寺の調布ももとはそれぞれ四丈二尺の長さで貢進されたものであろう。織り幅は二尺四寸(約七一・一センチ)の規定範囲内であったと考えられる。
奈良時代における民間の布生産の実態を伝え、正倉院宝物伝来品と並ぶ類例稀な遺品である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
法隆寺に伝来した奈良時代の二枚の麻布である。 墨書のある一枚は、経緯ともほぼ同程度の太さで、織耳を存し、古代の織り幅をそのまま伝え、長さは裁断されているが、一方の端を存している。その端から約三センチのところに「常陸國信太郡中家郷大伴部中万呂調一端〈専當國司史生八位上志貴連秋島大/郡司擬主物部川天平勝寶四年十〉月」と墨書があり、天平勝宝【(政脱力)】四年(七五二)十月常陸国信太郡より朝廷に調布として貢進されたことを示している。墨書の上部には朱印(方約六センチ)が一つおされ、印文は判読できないが、他の遺例等よりみて「常陸國印」と考えられる。 他の一枚は、糸質は前者とほぼ同様で、長さは両端とも裁断されているが、これも織耳を存し、製作時の織り幅を伝えている。墨書はないが、前者とほぼ同じ頃に織られたものと認められる。 前者は幅約六一・五センチの状態で端を折って用いられていた跡があり、後者は朽損の状態からみて縦に二つ折りにして使用されていた形跡がある。いずれもその寸法や他の遺品等よりみて、褥の芯布として用いられたものと思われる。 古代、律令の税制による調は、さまざまな品目で納められたが、布の場合は養老元年(七一七)十二月格によって長さを二丈八尺と定め、庸布一丈四尺とあわせて四丈二尺(約一二・四メートル)で一端とされた。現存する遺品の墨書等でも調布の多くは四丈二尺とされ、この法隆寺の調布ももとはそれぞれ四丈二尺の長さで貢進されたものであろう。織り幅は二尺四寸(約七一・一センチ)の規定範囲内であったと考えられる。 奈良時代における民間の布生産の実態を伝え、正倉院宝物伝来品と並ぶ類例稀な遺品である。