国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
菅江真澄遊覧記〈明徳館献納/自筆本〉
ふりがな
:
すがえますみゆうらんき〈めいとくかんけんのう/じひつぼん〉
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員数
:
77冊、12帖
種別
:
歴史資料
国
:
日本
時代
:
江戸
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
00060
枝番
:
0
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1991.06.21(平成3.06.21)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
秋田県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
菅江真澄(1754~1829)は江戸時代の国学者・紀行家で、天明年間に津軽藩校稽古館薬物掛となり、後に佐竹義和の招きに応じて秋田領久保田城下に迎えられ、藩内六郡の地誌作成を行った。これは彩色豊かに信濃・出羽・陸奥・蝦夷各地の生活、習俗、年中行事、旧跡を伝え、秋田藩校明徳館に献納されたものである。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
菅江真澄(1754~1829)は江戸時代の国学者・紀行家で、天明年間に津軽藩校稽古館薬物掛となり、後に佐竹義和の招きに応じて秋田領久保田城下に迎えられ、藩内六郡の地誌作成を行った。これは彩色豊かに信濃・出羽・陸奥・蝦夷各地の生活、習俗、年中行事、旧跡を伝え、秋田藩校明徳館に献納されたものである。
詳細解説▶
詳細解説
菅江真澄(1754~1829)は、三河の人で、白井英二、後に秀雄と称し、文化7年(1810)から菅江真澄を名乗り、江戸時代中期の国学者、紀行家として知られる。天明3年(1783)2月に郷里を出、信濃、越後を経て出羽、陸奥、蝦夷地に遊歴し、その間、津軽藩校稽古館薬物掛となり、その後文化8年(1811)に秋田領の城下町久保田に迎えられ、藩主佐竹義和の求めに応じて藩内6郡の地誌作成を行なった。 指定対象とした辻家本は、藩主の求めに応じてなった菅江真澄自筆に係る清書原本である。各冊にみえる伝領印によって秋田藩校明徳館献納本であることが判明するもので、その後旧藩主佐竹家を経て現有に帰し、都合77冊、12帖を存している。特に文政5年(1822)、同12年(1829)に明徳館に献納された真澄の著作は、「明徳館書籍目録」(秋田県立図書館保管)等によって、当時から真澄遊覧記と称されていたことが知られ、他の著作と区別され尊重されていたことがうかがわれる。 体裁は、粘葉装様<でっちょうそうよう>に仕立てる勝地臨毫<しょうちりんごう>(12帖)のほかは、いずれも袋綴装の冊子本で、文中には自詠和歌などもみえ、仮名交りの擬古文で、彩色写生図等を収め、表紙・題簽にも趣向を凝らすなど献納本としての体裁を伝えている。 この遊覧記は、天明3年(1783)から文政12年(1829)の間、真澄が自ら遊歴した信濃、出羽、陸奥、蝦夷地の各地でみられる民間の生活様式、および当地に伝わる習俗や年中行事、さらには旧跡や伝存する懸仏、文書、出土した考古遺品などの古器物について図絵や拓本などを交えて詳述したものである。 その内容は、日記、地誌、随筆類に分けられ、自らの実見に基づく現地実証の立場からなった民間生活記録とも称すべきもので、図絵だけで地域の実態を伝えた勝地臨毫など斬新な試みも看取される。民俗のほか、地理、歴史などの研究分野に資するところが多く、貴重である。