国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
西大寺版板木
ふりがな
:
さいだいじばんはんぎ
解説表示▶
員数
:
124枚
種別
:
歴史資料
国
:
日本
時代
:
鎌倉~江戸
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
00076
枝番
:
0
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1995.06.15(平成7.06.15)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
奈良県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
西大寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
西大寺で行われた開版事業に用いられた板木。西大寺の復興に努めた叡尊撰述の著作をその在世中に刊行した『梵網経古迹記輔行文集』等の板木と、江戸時代に開版された『金光明最勝王経』等の板木からなる。中世において個人の著作を出版した早い事例である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
西大寺で行われた開版事業に用いられた板木。西大寺の復興に努めた叡尊撰述の著作をその在世中に刊行した『梵網経古迹記輔行文集』等の板木と、江戸時代に開版された『金光明最勝王経』等の板木からなる。中世において個人の著作を出版した早い事例である。
詳細解説▶
詳細解説
西大寺は、鎌倉時代に僧叡尊が入寺し、戒律復興の中心道場としてから大いに興隆した。叡尊は戒律の講説を精力的に行うとともに、戒律関係書の撰述を多数行った。 当寺での開版事業は叡尊の入寺とともに開始されたようで、鎌倉時代が最盛期であったが、その後も行われ江戸時代まで続いた。当寺にはこれらの印刷に用いた板木が伝えられており、そのなかには刊記の部分が残っているものが比較的多いため、刊行の経緯を知ることができる。 鎌倉時代の板木では、叡尊が撰述し、弟子の快実が開版のため正応元年(1288)宋人に書写させた『金光明最勝王経科文』6枚や、叡尊が文永11年(1274)夏から建治2年2月(1276)の間に撰述した主著『梵網経古迹記輔行文集』15枚などがある。このほかにも叡尊著作として、弘長4年(1264)正月撰述の『応理宗戒図』2枚、文永7年11月撰述の『大乗入道次第科文』1枚、文永8年12月撰述の『勧発菩提心集科文』4枚があり、そのほかの刊記を逸している板木も、叡尊が作成することの多かった科文の形態を取るものが多いので、その関与が推定される。叡尊は戒律の宣揚広布を大々的に行うため、印刷を有効な手段として積極的に取り入れたものと考えられる。 江戸時代の板木は、明暦元年(1655)5月に法隆寺観音院法印高栄が寄進した『金光明最勝王経』板木(全60枚完存)などがある。 附とした『大乗入道次第科文』1帖と『金光明最勝王経大科』1帖は現存の板木で印刷されたもので、前者の紙背には文保元年(1317)12月8日の文書などがあり、鎌倉後期の印刷である。後者には天文14年(1545)5月の西大寺住持高珠の摺写寄進奥書があり、かなり後にも板木が使用されたことが知られる。 西大寺の板木は、寺院の教学活動の上で印刷の効用を十分理解し、活用したもので、また叡尊撰述書の刊行は、著者生前に著作が刊行された早い例である。日本の出版が経典等から個人の著作へ移行する最初期のものとして意義が深く、わが国の印刷文化・技術史上の価値がある。
関連情報
附指定
金光明最勝王経大科
大乗入道次第科文
関連情報
附指定
附名称
:
金光明最勝王経大科
附員数
:
一帖
附ト書
:
関連情報
附指定
附名称
:
大乗入道次第科文
附員数
:
一帖
附ト書
: