国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
難波家蹴鞠関係資料
ふりがな
:
なんばけけまりかんけいしりょう
解説表示▶
員数
:
491点
種別
:
歴史資料
国
:
日本
時代
:
平安~江戸
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
00089
枝番
:
0
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1997.06.30(平成9.06.30)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
滋賀県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
宗教法人平野神社
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
蹴鞠は競技系の芸道で、平安時代末から中世、近世にかけて、和歌とならんで公家や武家の重要な教養のひとつであった。競技は、一座八人の競技者(鞠足)が、鞠を地面に落とさないように協力して、できるだけ多くの回数、空中に蹴り上げ続けるもので、勝敗を争うよりも記録に挑戦するゲームである。競技の場は鞠場、鞠庭といい、中央に四本の「懸の木」と呼ばれる木を立てる。懸の木で囲まれる部分が競技範囲で、鞠足が懸の木の両脇に一人ずつ立ち、木に懸かってさまざまなコースをめぐって落ちてくる鞠を正確に優美に蹴り上げるところが見所である。
中国大陸に起源をもつとされるが、貴族社会に独自の形で定着し、院政時代、後白河院、後鳥羽院の庇護のもとに名手・達人が輩出して盛大となり、十三世紀の段階で競技としてかなり洗練度が高くなった。それとともに技法、作法、装束、施設、用具等の形式が固められて故実ができ上がり、その伝承教授を家職とする難波家、飛鳥井【あすかい】家、御子左【みこひだり】家の蹴鞠道の家が成立し、多数の蹴鞠書が編まれた。室町時代には難波、御子左二家は衰え、このころから飛鳥井家は蹴鞠の伝書を発給し始めるが、とくに応仁の乱以後、蹴鞠の全国的な広がりとともにおびただしく出された。江戸時代初期に難波家が再興され、江戸時代に幕府公認で蹴鞠を教授できる家は難波・飛鳥井の二家であった。
難波家蹴鞠関係資料は、蹴鞠古典書、秘伝書、蹴鞠会の記録、伝授書、家の経営維持に関する文書等多岐にわたるもので、平安時代から江戸時代までの総計四九一点である。
平野神社は、同社が蹴鞠の神である精大明神を祀ることから、江戸時代より難波家と深い関係にあり、明治時代にこれらの資料を難波家から一括寄贈された。
内容から、一、故実書類 二、伝書類 三、文書、記録類 四、書跡類に大別され、形態的には冊子本、巻子本、掛幅装、一枚物等の種々の形態をとる。
難波家では江戸時代中期に難波宗尚・宗建・宗城の三代三人が大いに難波家の復興に努め、古文献の研究を行い、多数の蹴鞠古典書、秘伝書等を収集、書写した。これが難波家資料の中核をなしている。
最も多数を占める故実書類は、蹴鞠古典書、各道家の秘伝書、部類書、口伝集、聞書、蹴鞠会記録等である。古典書では、院政期の鞠聖藤原成通に仮託された『成通卿口伝日記』(『三十箇条式』)、難波家・飛鳥井家祖の藤原頼輔撰の蹴鞠名手の言動を集成した『蹴鞠口伝集』、頼輔の孫難波宗長の撰とみられる草創期の蹴鞠書『蹴鞠簡要抄』、蹴鞠の体系化を図った飛鳥井雅有の『内外三時抄』等があり、そのほか難波、飛鳥井、御子左家の秘伝書類がある。また難波宗尚・宗城がまとめた大部の『蹴鞠部類抄』は多くの文献を渉猟した貴重な成果である。そのほか代々当主の口伝・聞書類、先例となる鞠会の記録、鞠神の祭法、鞠場の図等の絵図類も含まれている。
伝書類は、室町期からの門弟への技法の伝授や弟子との問答等に関するもので、その下書きや、伝書類をまとめた冊子もある。門弟には公家、室町幕府管領、今川氏や大内氏等の大名、武士が多くみられる。問答書は門弟からの質問に答えるもので、これも技法の伝授の一形態である。
文書、記録類は、主として江戸時代の難波家の家元経営と家政に関する資料であるが、飛鳥井家の同様な資料の写しも含む。内容は諸方面との往復文書・書状類、天皇への伝授にかかわる女房奉書、将軍家判物写、門弟誓約状、相続の置文、譲状、系図、難波家と飛鳥井家の相論文書等で、江戸時代の蹴鞠家元制度を考えるうえで興味深いものである。
書跡類は和歌、漢詩等で、軸物の形態をとるものが多い。蹴鞠の家元は歌鞠両道といわれ、当主は代々歌道の継承をしており、難波家当主の和歌懐紙や書が残されている。
これらの資料は蹴鞠道の家から直接一括して伝来したものであり、単に蹴鞠の古典書だけでなく、蹴鞠の技法、家元の機能と存続、代々の当主の事跡、伝授の実態、鞠場・施設・作法・儀式等の、かつて盛んであった蹴鞠故実の詳細を知る好資料であり、日本の諸芸研究上等に重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
添付ファイル
なし
解説文
蹴鞠は競技系の芸道で、平安時代末から中世、近世にかけて、和歌とならんで公家や武家の重要な教養のひとつであった。競技は、一座八人の競技者(鞠足)が、鞠を地面に落とさないように協力して、できるだけ多くの回数、空中に蹴り上げ続けるもので、勝敗を争うよりも記録に挑戦するゲームである。競技の場は鞠場、鞠庭といい、中央に四本の「懸の木」と呼ばれる木を立てる。懸の木で囲まれる部分が競技範囲で、鞠足が懸の木の両脇に一人ずつ立ち、木に懸かってさまざまなコースをめぐって落ちてくる鞠を正確に優美に蹴り上げるところが見所である。 中国大陸に起源をもつとされるが、貴族社会に独自の形で定着し、院政時代、後白河院、後鳥羽院の庇護のもとに名手・達人が輩出して盛大となり、十三世紀の段階で競技としてかなり洗練度が高くなった。それとともに技法、作法、装束、施設、用具等の形式が固められて故実ができ上がり、その伝承教授を家職とする難波家、飛鳥井【あすかい】家、御子左【みこひだり】家の蹴鞠道の家が成立し、多数の蹴鞠書が編まれた。室町時代には難波、御子左二家は衰え、このころから飛鳥井家は蹴鞠の伝書を発給し始めるが、とくに応仁の乱以後、蹴鞠の全国的な広がりとともにおびただしく出された。江戸時代初期に難波家が再興され、江戸時代に幕府公認で蹴鞠を教授できる家は難波・飛鳥井の二家であった。 難波家蹴鞠関係資料は、蹴鞠古典書、秘伝書、蹴鞠会の記録、伝授書、家の経営維持に関する文書等多岐にわたるもので、平安時代から江戸時代までの総計四九一点である。 平野神社は、同社が蹴鞠の神である精大明神を祀ることから、江戸時代より難波家と深い関係にあり、明治時代にこれらの資料を難波家から一括寄贈された。 内容から、一、故実書類 二、伝書類 三、文書、記録類 四、書跡類に大別され、形態的には冊子本、巻子本、掛幅装、一枚物等の種々の形態をとる。 難波家では江戸時代中期に難波宗尚・宗建・宗城の三代三人が大いに難波家の復興に努め、古文献の研究を行い、多数の蹴鞠古典書、秘伝書等を収集、書写した。これが難波家資料の中核をなしている。 最も多数を占める故実書類は、蹴鞠古典書、各道家の秘伝書、部類書、口伝集、聞書、蹴鞠会記録等である。古典書では、院政期の鞠聖藤原成通に仮託された『成通卿口伝日記』(『三十箇条式』)、難波家・飛鳥井家祖の藤原頼輔撰の蹴鞠名手の言動を集成した『蹴鞠口伝集』、頼輔の孫難波宗長の撰とみられる草創期の蹴鞠書『蹴鞠簡要抄』、蹴鞠の体系化を図った飛鳥井雅有の『内外三時抄』等があり、そのほか難波、飛鳥井、御子左家の秘伝書類がある。また難波宗尚・宗城がまとめた大部の『蹴鞠部類抄』は多くの文献を渉猟した貴重な成果である。そのほか代々当主の口伝・聞書類、先例となる鞠会の記録、鞠神の祭法、鞠場の図等の絵図類も含まれている。 伝書類は、室町期からの門弟への技法の伝授や弟子との問答等に関するもので、その下書きや、伝書類をまとめた冊子もある。門弟には公家、室町幕府管領、今川氏や大内氏等の大名、武士が多くみられる。問答書は門弟からの質問に答えるもので、これも技法の伝授の一形態である。 文書、記録類は、主として江戸時代の難波家の家元経営と家政に関する資料であるが、飛鳥井家の同様な資料の写しも含む。内容は諸方面との往復文書・書状類、天皇への伝授にかかわる女房奉書、将軍家判物写、門弟誓約状、相続の置文、譲状、系図、難波家と飛鳥井家の相論文書等で、江戸時代の蹴鞠家元制度を考えるうえで興味深いものである。 書跡類は和歌、漢詩等で、軸物の形態をとるものが多い。蹴鞠の家元は歌鞠両道といわれ、当主は代々歌道の継承をしており、難波家当主の和歌懐紙や書が残されている。 これらの資料は蹴鞠道の家から直接一括して伝来したものであり、単に蹴鞠の古典書だけでなく、蹴鞠の技法、家元の機能と存続、代々の当主の事跡、伝授の実態、鞠場・施設・作法・儀式等の、かつて盛んであった蹴鞠故実の詳細を知る好資料であり、日本の諸芸研究上等に重要である。
関連情報
一つ書
一、故実書類
一、伝書類
一、文書、記録類
一、書跡類
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、故実書類
一つ書員数
:
百六十四冊、六帖、二十四巻、三鋪、四十二通、八枚、一点
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、伝書類
一つ書員数
:
五十四冊、一帖、三十八巻、二十七通
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、文書、記録類
一つ書員数
:
十二冊、七巻、一鋪、九十三通、二枚
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、書跡類
一つ書員数
:
七幅、一枚
ト書
: