国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
明孝宗勅諭〈琉球国中山王尚真宛/〉
ふりがな
:
みんこうそうちょくゆ〈りゅうきゅうこくちゅうざんおうしょうしんあて/〉
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員数
:
1巻
種別
:
歴史資料
国
:
中国
時代
:
明 15世紀
年代
:
成化23
西暦
:
1487
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
成化二十三年十二月二十五日
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
00102
枝番
:
0
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1999.06.07(平成11.06.07)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
沖縄県
所在地
:
沖縄県立博物館・美術館 沖縄県那覇市おもろまち3-1-1
保管施設の名称
:
沖縄県立博物館・美術館
所有者名
:
沖縄県
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
明国の憲宗皇帝の後継として新皇帝となった孝宗の即位に際し、琉球国中山王尚真に宛てた勅諭の原本として著名なものである。
尚真は、『蔡鐸本中山世譜【さいたくぼんちゆうざんせいふ】』等によれば、第二尚家・尚圓の世子で成化元年(一四六五)に生まれ、同十三年(一四七七)に即位し、嘉靖五年(一五二六)十二月十一日に没し、在位五〇年であったことが知られている。
体裁は巻子装で、料紙には一・八メートル余にも及ぶ一紙の厚手三椏【みつまた】を用い、金泥にて龍瑞雲を配するとともに、巻末にみえる年紀(成化二十三年<一四八七>)の字面には朱方印一顆を捺している。
内容は、冒頭に「皇帝勅諭琉球國中山王尚真」から始まる新皇帝に登極した孝宗の宣示を伝える七行の勅諭を掲げ、次いで琉球王および王妃に頒賜する錦【にしき】、紵絲【ちよし】、紗【じや】、羅【ら】(王妃の品目には羅を欠く)の礼物の品目と員数を書き上げた目録を収めている。目録の後に「成化二十三年十二月二十五日」の年紀があり、その字面には「廣運/之寶」の朱方印一顆を捺している。
この勅諭が琉球国王に宛てられた経緯等については、『明実録』所収「孝宗実録」の成化二十三年十二月戊辰(三日)の条に、琉球国中山王尚真の進貢と明国側の対応措置についての記載がある。これによれば使臣・馬蕃礼らに国王尚真宛の詔書、頒賜する品目等を記した勅諭を給賜した旨の記載がみえている。
また、『明史』巻六八に収める「輿服志【よふくし】」には、皇帝の公用印である「皇帝宝璽」は都合一七種あった旨が記述されており、本勅諭にみえる「廣運/之寶」印もその一つとして所載され、『欽定続文献通考』には、その用法等についての記載があり、当印の正当性を示している。
一方、琉球側の資料をみるに、仁宗元年(一四二四、応永三十一)から同治六年(一八六七、慶応三)に至る同国の外交関係文書およびその文案を類聚した『歴代宝案』にもこの勅諭がもたらされた経緯等についての記載がみえ、成化二十三年の孝宗登位に際して、詔書と勅諭が琉球国王尚真に頒賜されたことが証左される。
本来は一具であった詔書を逸することは惜しまれるが、本勅諭については、両国の基本文献にも掲載され、歴史的な経緯を伝えるとともに、琉球国王宛のものとしては現存唯一のものであり、往時の琉球国と中国の対外交渉史研究上に貴重である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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解説文
明国の憲宗皇帝の後継として新皇帝となった孝宗の即位に際し、琉球国中山王尚真に宛てた勅諭の原本として著名なものである。 尚真は、『蔡鐸本中山世譜【さいたくぼんちゆうざんせいふ】』等によれば、第二尚家・尚圓の世子で成化元年(一四六五)に生まれ、同十三年(一四七七)に即位し、嘉靖五年(一五二六)十二月十一日に没し、在位五〇年であったことが知られている。 体裁は巻子装で、料紙には一・八メートル余にも及ぶ一紙の厚手三椏【みつまた】を用い、金泥にて龍瑞雲を配するとともに、巻末にみえる年紀(成化二十三年<一四八七>)の字面には朱方印一顆を捺している。 内容は、冒頭に「皇帝勅諭琉球國中山王尚真」から始まる新皇帝に登極した孝宗の宣示を伝える七行の勅諭を掲げ、次いで琉球王および王妃に頒賜する錦【にしき】、紵絲【ちよし】、紗【じや】、羅【ら】(王妃の品目には羅を欠く)の礼物の品目と員数を書き上げた目録を収めている。目録の後に「成化二十三年十二月二十五日」の年紀があり、その字面には「廣運/之寶」の朱方印一顆を捺している。 この勅諭が琉球国王に宛てられた経緯等については、『明実録』所収「孝宗実録」の成化二十三年十二月戊辰(三日)の条に、琉球国中山王尚真の進貢と明国側の対応措置についての記載がある。これによれば使臣・馬蕃礼らに国王尚真宛の詔書、頒賜する品目等を記した勅諭を給賜した旨の記載がみえている。 また、『明史』巻六八に収める「輿服志【よふくし】」には、皇帝の公用印である「皇帝宝璽」は都合一七種あった旨が記述されており、本勅諭にみえる「廣運/之寶」印もその一つとして所載され、『欽定続文献通考』には、その用法等についての記載があり、当印の正当性を示している。 一方、琉球側の資料をみるに、仁宗元年(一四二四、応永三十一)から同治六年(一八六七、慶応三)に至る同国の外交関係文書およびその文案を類聚した『歴代宝案』にもこの勅諭がもたらされた経緯等についての記載がみえ、成化二十三年の孝宗登位に際して、詔書と勅諭が琉球国王尚真に頒賜されたことが証左される。 本来は一具であった詔書を逸することは惜しまれるが、本勅諭については、両国の基本文献にも掲載され、歴史的な経緯を伝えるとともに、琉球国王宛のものとしては現存唯一のものであり、往時の琉球国と中国の対外交渉史研究上に貴重である。