国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
絹本著色忍性像
ふりがな
:
けんぽんちゃくしょくにんしょうぞう
解説表示▶
員数
:
1幅
種別
:
絵画
国
:
日本
時代
:
鎌倉
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
01972
枝番
:
00
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1999.06.07(平成11.06.07)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
神奈川県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
称名寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
忍性(一二一七-一三〇三年)は、西大寺叡尊の高弟で、戒律の復興や授戒活動、各種の慈善救済事業を行ったことで著名である。大和の諸寺で活動したのち、建長五年(一二五二)に関東に下向して北条氏の帰依を受けるなど、関東での西大寺系律宗の展開に中心的人物として尽力した。鎌倉極楽寺の開山に迎えられたほか、関東の諸寺に与えた影響は大きく、文永四年(一二六七)、北条実時が本図を蔵する称名寺の開山に審海を迎えたのも、忍性の再三にわたる推挙によるものであったといい、称名寺草創期に大きな役割を果たした点も注目される。
この忍性像は、偏衫を左前に着け、袈裟を円環で吊す点で、叡尊像をはじめとする律宗祖師像の形式を踏襲している。さらに、払子を手にし、法被をかけた椅子に斜め向かって右を向いて坐し、下に沓を置くという形式は、そもそも京都・泉涌寺の俊〓像(昭和四十年三月二十六日指定・重文)と共通するものである。また正安二年(一三〇〇)の裏書きのある東京・室泉寺本叡尊像(明治四十五年二月八日指定・重文)、これにやや遅れる時期の制作と思われる西大寺の叡尊像の一本、さらに伝湛睿像などの称名寺の祖師像にも同様の形式がみられる。
忍性像には、このような形式のものとは別に、卓被をかけた前机と、机上の戒尺、柄香炉、三衣の包み(三具)を描き加えた作品が存在する。南北朝期の制作と思われる西大寺本や、さらに下る新大仏寺本がそれである。多くの遺例が残る叡尊像においても、新大仏寺本(明治四十五年二月八日指定・重文)をはじめとして、忍性像と同じように前机を描き加えるもう一つの形式が存在し、その多くは向かって斜め左を向いて坐す点でも前者の形式との相違がある。
叡尊像においては、前者の形式のものは祖師忌に用いられたものであり、後者の形式のものは受戒および夏安居の際に懸けられたと推定されている。本図は叡尊像の前者の部類と、形式上の共通点をもつことから、これと同じ性格の画像であることが類推できる。さらに前者の形式の叡尊像では、図の上部に像主に対する略頌もしくは行状が書かれていることから類推するならば、本図にも当初はそのようなものがあったことも想像できる。
以上のように、本図は形式において律宗祖師像のそれを踏襲しており、画風においても鎌倉時代の南都律僧像に共通したものがみられる。顔貌の謹細な鉄線描と、衣や法被の肥痩のある描線との巧みな使い分けや、明快にしてかつ立体感のある表現には優れたものがあり、形式から祖師忌の本尊と類推できることをあわせて考慮すれば、忍性の没後さほど時期をおかないころの制作になるものと考えられよう。
本図は、やや傷みがみられるのは惜しまれるものの、忍性像としては現存作例中最も古く、表現にやや形式化がみられる西大寺本や新大仏寺本に比べて、個性的な風貌をよく表現しえている。忍性という著名な高僧の肖像画の、最も優れた作例として貴重な意義を有している。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
忍性(一二一七-一三〇三年)は、西大寺叡尊の高弟で、戒律の復興や授戒活動、各種の慈善救済事業を行ったことで著名である。大和の諸寺で活動したのち、建長五年(一二五二)に関東に下向して北条氏の帰依を受けるなど、関東での西大寺系律宗の展開に中心的人物として尽力した。鎌倉極楽寺の開山に迎えられたほか、関東の諸寺に与えた影響は大きく、文永四年(一二六七)、北条実時が本図を蔵する称名寺の開山に審海を迎えたのも、忍性の再三にわたる推挙によるものであったといい、称名寺草創期に大きな役割を果たした点も注目される。 この忍性像は、偏衫を左前に着け、袈裟を円環で吊す点で、叡尊像をはじめとする律宗祖師像の形式を踏襲している。さらに、払子を手にし、法被をかけた椅子に斜め向かって右を向いて坐し、下に沓を置くという形式は、そもそも京都・泉涌寺の俊〓像(昭和四十年三月二十六日指定・重文)と共通するものである。また正安二年(一三〇〇)の裏書きのある東京・室泉寺本叡尊像(明治四十五年二月八日指定・重文)、これにやや遅れる時期の制作と思われる西大寺の叡尊像の一本、さらに伝湛睿像などの称名寺の祖師像にも同様の形式がみられる。 忍性像には、このような形式のものとは別に、卓被をかけた前机と、机上の戒尺、柄香炉、三衣の包み(三具)を描き加えた作品が存在する。南北朝期の制作と思われる西大寺本や、さらに下る新大仏寺本がそれである。多くの遺例が残る叡尊像においても、新大仏寺本(明治四十五年二月八日指定・重文)をはじめとして、忍性像と同じように前机を描き加えるもう一つの形式が存在し、その多くは向かって斜め左を向いて坐す点でも前者の形式との相違がある。 叡尊像においては、前者の形式のものは祖師忌に用いられたものであり、後者の形式のものは受戒および夏安居の際に懸けられたと推定されている。本図は叡尊像の前者の部類と、形式上の共通点をもつことから、これと同じ性格の画像であることが類推できる。さらに前者の形式の叡尊像では、図の上部に像主に対する略頌もしくは行状が書かれていることから類推するならば、本図にも当初はそのようなものがあったことも想像できる。 以上のように、本図は形式において律宗祖師像のそれを踏襲しており、画風においても鎌倉時代の南都律僧像に共通したものがみられる。顔貌の謹細な鉄線描と、衣や法被の肥痩のある描線との巧みな使い分けや、明快にしてかつ立体感のある表現には優れたものがあり、形式から祖師忌の本尊と類推できることをあわせて考慮すれば、忍性の没後さほど時期をおかないころの制作になるものと考えられよう。 本図は、やや傷みがみられるのは惜しまれるものの、忍性像としては現存作例中最も古く、表現にやや形式化がみられる西大寺本や新大仏寺本に比べて、個性的な風貌をよく表現しえている。忍性という著名な高僧の肖像画の、最も優れた作例として貴重な意義を有している。