国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
公忠朝臣集
ふりがな
:
きんただあそんしゅう
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員数
:
1帖
種別
:
書跡・典籍
国
:
日本
時代
:
鎌倉
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
02517
枝番
:
00
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2000.12.04(平成12.12.04)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
東京都
所在地
:
東京都世田谷区上野毛3-9-25
保管施設の名称
:
公益財団法人五島美術館
所有者名
:
公益財団法人五島美術館
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
『公忠朝臣集』は、平安時代前期に活躍した歌人で、三十六人歌仙の一人でもある源公忠(八八九-九四八)の私家集である。公忠は、光孝天皇の皇孫源国紀の子息で、醍醐天皇・朱雀天皇に蔵人として仕え、太政大臣藤原忠平らの信任も得ていた。作風は穏やかで、勅撰集に私家集から多数入集している。
『公忠集』の伝本は現在、四系統に分けられている。第一類①西本願寺本系、②書陵部本系、③藤原定家筆本系、第二類④部類名家集である。本書はわずかに一七首を収載する私家集ではあるものの、定家筆本系の祖本にあたる。
本書の体裁は、近世の後補表紙を附けているが、原表紙を含めて一六葉を大和綴装にする冊子本である。白地双蝶丸萩文丁子刷の原表紙は、定家筆の外題を打ち付けた『相模集』(富士美術館蔵、昭和三十年重文指定)、『仲文集』(冷泉家時雨亭文庫蔵、昭和六十二年重文指定)など、定家監督下で書写された私家集に多くみられる。外題と内題を定家が書いている。「古」「拾」「勅」「続後」「玉葉」の集付けが附けられ、その中に定家の筆になるものもある。本文は「ひは殿の左大臣になりたまひて」の詞書から始まり、一首目「をそくてもつひにさきぬるむめのはなたかうへをきしたねにかあるらむ」以下、「いろもなき心を人にそめしより うつろはむとはたかおもはなくに」までである。定家が周辺の人に書写させたものである。
本書の親本を想定できる私家集が、冷泉家時雨亭文庫に所蔵されている。時雨亭文庫本は、「公忠集」の後に「みちなり集」が書写されている平安時代後期写本一帖で、定家による校訂がなされている。本書と時雨亭文庫本を比較すると、詞書や歌がほぼ一致する。しかも、本書は時雨亭文庫本の乱れている詞書を、抽出して繋ぎ合わせ、わかりやすくしていることが知られる。定家によって本文が整えられていく過程は、定家の校訂態度が鮮明になるものとして、貴重な写本である。
本書の伝来は、もと冷泉家に所蔵されていたが、冷泉為満が関白豊臣秀次の所望により、天正二十年(一五九二)に献上した。この経緯は、為満が献上した際に作成した模写本(冷泉家時雨亭文庫蔵)の奥書から判明する。為満模写本は貞享年間ころに禁裏で写され、御所本三十六人集の一つとして知られることとなった。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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解説文
『公忠朝臣集』は、平安時代前期に活躍した歌人で、三十六人歌仙の一人でもある源公忠(八八九-九四八)の私家集である。公忠は、光孝天皇の皇孫源国紀の子息で、醍醐天皇・朱雀天皇に蔵人として仕え、太政大臣藤原忠平らの信任も得ていた。作風は穏やかで、勅撰集に私家集から多数入集している。 『公忠集』の伝本は現在、四系統に分けられている。第一類①西本願寺本系、②書陵部本系、③藤原定家筆本系、第二類④部類名家集である。本書はわずかに一七首を収載する私家集ではあるものの、定家筆本系の祖本にあたる。 本書の体裁は、近世の後補表紙を附けているが、原表紙を含めて一六葉を大和綴装にする冊子本である。白地双蝶丸萩文丁子刷の原表紙は、定家筆の外題を打ち付けた『相模集』(富士美術館蔵、昭和三十年重文指定)、『仲文集』(冷泉家時雨亭文庫蔵、昭和六十二年重文指定)など、定家監督下で書写された私家集に多くみられる。外題と内題を定家が書いている。「古」「拾」「勅」「続後」「玉葉」の集付けが附けられ、その中に定家の筆になるものもある。本文は「ひは殿の左大臣になりたまひて」の詞書から始まり、一首目「をそくてもつひにさきぬるむめのはなたかうへをきしたねにかあるらむ」以下、「いろもなき心を人にそめしより うつろはむとはたかおもはなくに」までである。定家が周辺の人に書写させたものである。 本書の親本を想定できる私家集が、冷泉家時雨亭文庫に所蔵されている。時雨亭文庫本は、「公忠集」の後に「みちなり集」が書写されている平安時代後期写本一帖で、定家による校訂がなされている。本書と時雨亭文庫本を比較すると、詞書や歌がほぼ一致する。しかも、本書は時雨亭文庫本の乱れている詞書を、抽出して繋ぎ合わせ、わかりやすくしていることが知られる。定家によって本文が整えられていく過程は、定家の校訂態度が鮮明になるものとして、貴重な写本である。 本書の伝来は、もと冷泉家に所蔵されていたが、冷泉為満が関白豊臣秀次の所望により、天正二十年(一五九二)に献上した。この経緯は、為満が献上した際に作成した模写本(冷泉家時雨亭文庫蔵)の奥書から判明する。為満模写本は貞享年間ころに禁裏で写され、御所本三十六人集の一つとして知られることとなった。