国宝・重要文化財(美術工芸品)
 主情報
名称 大乗院寺社雑事記
ふりがな だいじょういんじしゃぞうじき
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員数
種別 古文書
日本
時代 室町
年代
西暦
作者
寸法・重量
品質・形状
ト書
画賛・奥書・銘文等
伝来・その他参考となるべき事項
指定番号(登録番号) 00182
枝番 00
国宝・重文区分 重要文化財
重文指定年月日 2002.06.26(平成14.06.26)
国宝指定年月日
追加年月日
所在都道府県 東京都
所在地
保管施設の名称
所有者名 独立行政法人国立公文書館
管理団体・管理責任者名

解説文:
 『大乗院寺社雑事記』は、興福寺大乗院門跡の第二七代尋尊、第二八代政覚、第三〇代経尋が、宝徳二年(一四五〇)より大永七年(一五二七)までの約八〇年間に、興福寺や春日社に関わる様々な事項などを記した日記の総称である。
 尋尊(一四三〇-一五〇八)は関白一条兼良【かねら】の子で、前門跡安位寺経覚【きょうがく】(一三九五-一四七三)の跡をうけて入室し、門主となった。その日記は、宝徳二年正月一日から永正五年正月一七日までの約六〇年間分を存している。康正二年(一四五六)、興福寺別当(寺務)に補せられると、尋尊は日記を『寺務方諸廻請【じむかたしょかいじょう】』と名付け、長禄三年(一四五九)に別当を退くと、『寺社雑事記』と改めて記している。日記の他に「長禄四年若宮祭田楽頭記」「寛正五年河原勧進猿楽記」などの別記が含まれている。
 政覚と経尋の日記は、尋尊の『寺務方諸廻請』などを引き継ぐものとして記されたもので、『寺務方記』『寺院雑要抄』などの名称が付されている。そのため、江戸時代にはこれらの日記も一括して『寺社雑事記』として扱われている。
 日記の体裁はほとんどに紙背文書がある袋綴装である。内容は、大乗院が台頭しつつあった衆徒国民【しゅうとこくみん】等の在地勢力、幕府・守護大名等の外圧と対抗しつつ、座や寺領庄園の経営維持に苦心しなければならなかった状況を反映している。例えば、明応二年(一四九三)の細川政元による将軍足利義材【よしき】廃立については、日野富子の関与など生々しい情報を伝えている。また、世間の風聞、芸能、文学など多岐にわたり、楠葉入道西忍から聞いた遣明船や勘合貿易に関する莫大な覚書や、『源氏物語』の解説ともいうべき詳細な記述もみられる。この他、『大乗院日記目録』は、尋尊が院家に残されていた記録類などをもとに、一乗院・大乗院両門跡の経歴と、世上で起こった歴史的事件とを合わせて記した年代記で、治暦元年(一〇六五)から永正元年(一五〇四)までの記事を収める。なかでも正長元年(一四二八)の土一揆について「日本開白以来、土民蜂起是初也」と評した箇所はよく知られている。
 紙背文書には、法会をはじめ、僧侶の生活の実態や、寺内部の諸問題、各庄園での出来事、朝廷・幕府・守護や衆徒などの動向や、寛正大飢饉の惨状などの社会現象についても詳細な情報が含まれている。これらは日記の裏付けとなる正確な第一次史料である。
 以上のように『大乗院寺社雑事記』は、室町時代後期の代表的な記録であり、応仁の乱前後の畿内における政治、経済、宗教、芸能など、中世史研究の基本史料としてきわめて重要である。
関連情報
    (情報の有無)
  附指定 なし
  一つ書
  添付ファイル なし