国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
紙本墨画布袋図〈黙庵筆/〉
ふりがな
:
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員数
:
1幅
種別
:
絵画
国
:
日本
時代
:
南北朝
年代
:
西暦
:
作者
:
黙庵
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
了庵清欲の賛がある
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
01989
枝番
:
0
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2002.06.26(平成14.06.26)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
静岡県
所在地
:
静岡県熱海市桃山町26-2
保管施設の名称
:
財団法人エム・オー・エー美術文化財団MOA美術館
所有者名
:
世界救世教
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
黙庵はある程度来歴が知られる日本人水墨画家としては最古の画家である。両足院蔵『刻堵集』所収の『空華日用工夫集』逸文中に入元僧の帰朝談があり、その記述が黙庵に関する根本資料とされている。これによれば、黙庵の法諱ははじめ是一といい、後に霊淵と改められた。入元して本覚寺にあった了庵清欲(一二八八-一三六三)の会下で蔵主となり、至正五年(一三四五)前後に中国で客死した。同逸文はまた、黙庵が了庵に参じる前に浄慈寺にいたときに西湖の六通寺を訪れ、牧谿の再来であるとして院主から牧谿の印を与えられたとも伝えている。
了庵清欲の賛文については、文中に「本覚比丘清欲」とあることから、了庵が本覚寺に住した元統元年(一三三三)から至正三年(一三四三)までの間に書されたことがわかる。絵もそのころに中国で制作されたとみられよう。
黙庵の作品は、紙本墨画布袋図(泉屋博古館、昭和二十四年五月三十日指定)と紙本墨画四睡図(前田育徳会、昭和三十一年六月二十八日指定)が重要文化財に指定されている。泉屋博古館本の布袋が満面に笑みを湛え、堂々たる体躯から泰然とした雰囲気を漂わせるのに対して、本図の場合はより小柄で穏やかな風貌が親愛感と飄逸性とを感じさせる作例であり、牧谿とも区別される共感性に富んだ人物表現を見せている。
肉身を描く細線を淡墨で鋭く、着衣を濃墨で太く簡略に描く画法は、中国で行われた独特の水墨人物画法である罔両画の流れを汲んだものといわれている。本図はまた、黙庵画の特徴である柔らかい曲線のリズムもよくあらわれた作品である。上方にあげた右腕の衣の輪郭線は、四睡図の速度のある衣紋線とよく通じる。また、背中から左袖に至る太い墨線は明快で、布袋に超俗性と力強さの印象を付与する上に大きな役割を果たしている。
本図は中国で行われた図様に基づいて制作されたと思われるが、通例は右手で指さす先に弥勒仏が小さく表されるのに対し、本図では料紙の表面を削り取ったかのような痕跡があるのが惜しまれる。しかし、全体の画趣を損なうには至っていない。
本図は昭和十二年に重要美術品に認定されている。それ以前の伝来は不詳であるが、付属の添え状数通のうち、賛者を鑑定している大徳寺の一八五世玉舟宗〓が寛文八年(一六六八)寂であることから、一七世紀中ごろには日本に伝来していたことがわかる。
黙庵は、大正時代に『空華日用工夫集』の逸文が発見されるまでは一般に中国人と思われてきた。本図に見る画風は初期水墨画のなかでも殊に優れた筆技を示しており、簡略な筆致で布袋の風貌を鋭くとらえることに成功した日本初期水墨画の優品として高い評価を得ている。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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解説文
黙庵はある程度来歴が知られる日本人水墨画家としては最古の画家である。両足院蔵『刻堵集』所収の『空華日用工夫集』逸文中に入元僧の帰朝談があり、その記述が黙庵に関する根本資料とされている。これによれば、黙庵の法諱ははじめ是一といい、後に霊淵と改められた。入元して本覚寺にあった了庵清欲(一二八八-一三六三)の会下で蔵主となり、至正五年(一三四五)前後に中国で客死した。同逸文はまた、黙庵が了庵に参じる前に浄慈寺にいたときに西湖の六通寺を訪れ、牧谿の再来であるとして院主から牧谿の印を与えられたとも伝えている。 了庵清欲の賛文については、文中に「本覚比丘清欲」とあることから、了庵が本覚寺に住した元統元年(一三三三)から至正三年(一三四三)までの間に書されたことがわかる。絵もそのころに中国で制作されたとみられよう。 黙庵の作品は、紙本墨画布袋図(泉屋博古館、昭和二十四年五月三十日指定)と紙本墨画四睡図(前田育徳会、昭和三十一年六月二十八日指定)が重要文化財に指定されている。泉屋博古館本の布袋が満面に笑みを湛え、堂々たる体躯から泰然とした雰囲気を漂わせるのに対して、本図の場合はより小柄で穏やかな風貌が親愛感と飄逸性とを感じさせる作例であり、牧谿とも区別される共感性に富んだ人物表現を見せている。 肉身を描く細線を淡墨で鋭く、着衣を濃墨で太く簡略に描く画法は、中国で行われた独特の水墨人物画法である罔両画の流れを汲んだものといわれている。本図はまた、黙庵画の特徴である柔らかい曲線のリズムもよくあらわれた作品である。上方にあげた右腕の衣の輪郭線は、四睡図の速度のある衣紋線とよく通じる。また、背中から左袖に至る太い墨線は明快で、布袋に超俗性と力強さの印象を付与する上に大きな役割を果たしている。 本図は中国で行われた図様に基づいて制作されたと思われるが、通例は右手で指さす先に弥勒仏が小さく表されるのに対し、本図では料紙の表面を削り取ったかのような痕跡があるのが惜しまれる。しかし、全体の画趣を損なうには至っていない。 本図は昭和十二年に重要美術品に認定されている。それ以前の伝来は不詳であるが、付属の添え状数通のうち、賛者を鑑定している大徳寺の一八五世玉舟宗〓が寛文八年(一六六八)寂であることから、一七世紀中ごろには日本に伝来していたことがわかる。 黙庵は、大正時代に『空華日用工夫集』の逸文が発見されるまでは一般に中国人と思われてきた。本図に見る画風は初期水墨画のなかでも殊に優れた筆技を示しており、簡略な筆致で布袋の風貌を鋭くとらえることに成功した日本初期水墨画の優品として高い評価を得ている。