国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
絹本著色北斗九星像
ふりがな
:
けんぽんちゃくしょくほくときゅうせいぞう
解説表示▶
員数
:
1幅
種別
:
絵画
国
:
中国
時代
:
南宋
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
01995
枝番
:
0
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2002.06.26(平成14.06.26)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
滋賀県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
宝厳寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
画面向かって右上から左下方に向かって、雲に乗り降下する一一体の尊像を表している。
最前方の二尊は女性形で、ほぼ同様の形姿であるが、向かって左の尊像は右手に剣、左手に桃らしき花を付けた枝を手にしており、右の尊像は右手に剣を持ち、左手には上に羊頭を載せた荷葉を捧げている。二尊には金泥でそれぞれ「陀羅尼使者」「擎羊使者」の名が記されている。
擎羊使者は頭上に双髻を結い、正面に鳥形の飾りを付けた天冠を被っている。天冠の座部は蘂状になっており、両端を結んで左右に垂らしている。白肉身で暗茶色の細線で描起こしている。筒袖の襯衣の上に青色の長袂衣を着るが、長袂衣の縁は白群地で金泥による唐草文を表している。白色地に金泥による文をあしらった裳を着け、上に朱色の裙を着ける。裙は正面と左右に分かれ、左右は長めで緑の斜め格子文に金泥の渦文を施し、上にC字やV字形の玉珮を垂らしている。正面は短めで金泥により花文を施している。裙は緑色の飾りを連綴した茶色の帯で締め、白色の紐を飾り条に結んで長く正面に垂らしている。朱色の沓を履く。緑色の天衣を纏う。陀羅尼使者も同様であるが、裙の正面の文様が亀甲文とする。なお、両目部を損傷している。
二使者の後方画面中央に七体の女性像を表す。三列に並んだ七体はいずれも同形で、金泥文を施した白色の衣に身を包み、両手で笏を捧持する。服制は使者と近いが、長袂衣(横雲文)の上に鰭袖を付けた〓襠衣(七宝繋ぎ文)を着し、緑色の帯で締め、緑色の連珠を左右に垂らしているらしい。下裳の裾をフリルとする。雲形の肩飾りの付いた胸飾り(黄土地に金泥文)を着ける。天衣(雲文)を纏っている。冠を着けず、長い髪を被髪としてすべて後方に垂らし、髪には群青を塗る。沓は朱色。いずれも群青色の笏を持つが、中で最前列の左尊に「貪狼」、中央尊に「巨門」と笏上に金書されており、北斗七星を表していることが知られる。
七星のすぐ後ろに礼装の二男性像が描かれる。やはり笏(薄茶色)を捧持しており、「左□」「右弼」と金書される。すなわち、北斗の隠星である輔弼二星であることがわかる。輔弼星は特異な冠(黒い冠の上に左右に紗を垂らした角形を載せ、羽毛を左側に差し飾り尾を上部に跳ね上げる)を被り、朱の大袖を着し、玉珮を垂らしている。なお、左輔星は眉目部を欠損する。雲は白色で緑がかった墨色で外隈する。
上から八センチメートル幅の補絹がある。
本図は白衣を着した被髪の北斗七星と中国王侯風の冠服を着た輔弼二星の各神、および女神風の二侍者を雲に乗り飛来する姿に表している。北斗七星および輔弼星は各捧持した笏に名を記しており、その名称および図像は道教教典である『太上玄霊北斗本命延生真経』の注釈である『太上玄霊北斗本命延生真経注解』に挙げる九星のそれとほぼ合致する。同経については北宋天禧三年(一〇一九)成立という『雲笈七籤』に引用があるので、これ以前の成立であることは確かである。二侍者の名称については典拠が定かではないが、宋代図像の写しと考えられる九曜星図像(MOA美術館・醍醐寺等)中に、「月孛星」と注記された尊像が「擎羊使者」と同様に剣と羊頭を載せた盆を持物としており、何らかの関わりが推察される。
本図七星の形姿は、『仏説北斗七星延命経』掲出の図像とも一致し、鎌倉時代の終南山曼荼羅(香川・道隆寺本、京都・松尾寺本)中にも同様の表現を見ることができる。なお、「北斗九星」との呼称は前述『雲笈七籤』に頻用されており、輔弼二星についても独自の信仰が存していたことが知られる。
本図は細筆によって的確に象形されたうえに丁寧に彩色されており、輔弼星や二使者の図像は新知恩院蔵六道絵中の天道図や京都・満願寺蔵三仏諸尊集会図に相近いが、運筆賦彩はより精緻でかつ繊細である。また、水陸画との関連も説かれているが、わが国においては北斗七星信仰を背景に伝世したものであるかもしれない。伝来に関する明証を欠くものの、宝厳寺の所在する竹生島を支配していた比叡山では上七社を北斗に擬し、根本中堂本尊である薬師如来に関して七仏を七星と同体とするなど、少なくとも中世には北斗信仰が認められることが注目される。
本図は美術的に優れ、かつ南宋期に遡る本格的な道教画としても価値が高いが、わが国における北斗信仰を考えるうえでも貴重な遺品といえよう。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
画面向かって右上から左下方に向かって、雲に乗り降下する一一体の尊像を表している。 最前方の二尊は女性形で、ほぼ同様の形姿であるが、向かって左の尊像は右手に剣、左手に桃らしき花を付けた枝を手にしており、右の尊像は右手に剣を持ち、左手には上に羊頭を載せた荷葉を捧げている。二尊には金泥でそれぞれ「陀羅尼使者」「擎羊使者」の名が記されている。 擎羊使者は頭上に双髻を結い、正面に鳥形の飾りを付けた天冠を被っている。天冠の座部は蘂状になっており、両端を結んで左右に垂らしている。白肉身で暗茶色の細線で描起こしている。筒袖の襯衣の上に青色の長袂衣を着るが、長袂衣の縁は白群地で金泥による唐草文を表している。白色地に金泥による文をあしらった裳を着け、上に朱色の裙を着ける。裙は正面と左右に分かれ、左右は長めで緑の斜め格子文に金泥の渦文を施し、上にC字やV字形の玉珮を垂らしている。正面は短めで金泥により花文を施している。裙は緑色の飾りを連綴した茶色の帯で締め、白色の紐を飾り条に結んで長く正面に垂らしている。朱色の沓を履く。緑色の天衣を纏う。陀羅尼使者も同様であるが、裙の正面の文様が亀甲文とする。なお、両目部を損傷している。 二使者の後方画面中央に七体の女性像を表す。三列に並んだ七体はいずれも同形で、金泥文を施した白色の衣に身を包み、両手で笏を捧持する。服制は使者と近いが、長袂衣(横雲文)の上に鰭袖を付けた〓襠衣(七宝繋ぎ文)を着し、緑色の帯で締め、緑色の連珠を左右に垂らしているらしい。下裳の裾をフリルとする。雲形の肩飾りの付いた胸飾り(黄土地に金泥文)を着ける。天衣(雲文)を纏っている。冠を着けず、長い髪を被髪としてすべて後方に垂らし、髪には群青を塗る。沓は朱色。いずれも群青色の笏を持つが、中で最前列の左尊に「貪狼」、中央尊に「巨門」と笏上に金書されており、北斗七星を表していることが知られる。 七星のすぐ後ろに礼装の二男性像が描かれる。やはり笏(薄茶色)を捧持しており、「左□」「右弼」と金書される。すなわち、北斗の隠星である輔弼二星であることがわかる。輔弼星は特異な冠(黒い冠の上に左右に紗を垂らした角形を載せ、羽毛を左側に差し飾り尾を上部に跳ね上げる)を被り、朱の大袖を着し、玉珮を垂らしている。なお、左輔星は眉目部を欠損する。雲は白色で緑がかった墨色で外隈する。 上から八センチメートル幅の補絹がある。 本図は白衣を着した被髪の北斗七星と中国王侯風の冠服を着た輔弼二星の各神、および女神風の二侍者を雲に乗り飛来する姿に表している。北斗七星および輔弼星は各捧持した笏に名を記しており、その名称および図像は道教教典である『太上玄霊北斗本命延生真経』の注釈である『太上玄霊北斗本命延生真経注解』に挙げる九星のそれとほぼ合致する。同経については北宋天禧三年(一〇一九)成立という『雲笈七籤』に引用があるので、これ以前の成立であることは確かである。二侍者の名称については典拠が定かではないが、宋代図像の写しと考えられる九曜星図像(MOA美術館・醍醐寺等)中に、「月孛星」と注記された尊像が「擎羊使者」と同様に剣と羊頭を載せた盆を持物としており、何らかの関わりが推察される。 本図七星の形姿は、『仏説北斗七星延命経』掲出の図像とも一致し、鎌倉時代の終南山曼荼羅(香川・道隆寺本、京都・松尾寺本)中にも同様の表現を見ることができる。なお、「北斗九星」との呼称は前述『雲笈七籤』に頻用されており、輔弼二星についても独自の信仰が存していたことが知られる。 本図は細筆によって的確に象形されたうえに丁寧に彩色されており、輔弼星や二使者の図像は新知恩院蔵六道絵中の天道図や京都・満願寺蔵三仏諸尊集会図に相近いが、運筆賦彩はより精緻でかつ繊細である。また、水陸画との関連も説かれているが、わが国においては北斗七星信仰を背景に伝世したものであるかもしれない。伝来に関する明証を欠くものの、宝厳寺の所在する竹生島を支配していた比叡山では上七社を北斗に擬し、根本中堂本尊である薬師如来に関して七仏を七星と同体とするなど、少なくとも中世には北斗信仰が認められることが注目される。 本図は美術的に優れ、かつ南宋期に遡る本格的な道教画としても価値が高いが、わが国における北斗信仰を考えるうえでも貴重な遺品といえよう。