国宝・重要文化財(美術工芸品)
 主情報
名称 絹本著色春屋妙葩像(/自賛がある)
ふりがな けんぽんちゃくしょくしゅんおくみょうはぞう
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員数 1幅
種別 絵画
日本
時代 南北朝
年代
西暦
作者
寸法・重量
品質・形状
ト書
画賛・奥書・銘文等
伝来・その他参考となるべき事項
指定番号(登録番号) 01997
枝番 0
国宝・重文区分 重要文化財
重文指定年月日 2003.05.29(平成15.05.29)
国宝指定年月日
追加年月日
所在都道府県 京都府
所在地
保管施設の名称
所有者名 宗教法人慈照寺
管理団体・管理責任者名 宗教法人相国寺

解説文:
 春屋妙葩(一三一一~八八)は、夢窓疎石【むそうそせき】(一二七五~一三五一)の甥であると伝えられ、その弟子として疎石の跡を嗣ぎ、臨済宗夢窓派の隆盛の礎を固めた禅僧である。天竜寺、南禅寺の住持を歴任し、康暦元年(一三七九)には足利義満の奏請により全国の禅寺・禅僧を統括する「天下僧録司【そうろくし】」に任ぜられ、同年、智覚普明国師の号も与えられた。多くの寺院の復興、整備に力があった一方、いわゆる五山版の多くの出版を行うなど、文化的な功績も大きかった。
 妙葩は足利義満の信が厚く、義満が創建した相国寺の住持として迎えられ、至徳三年(一三八六)七月に、すでに亡くなって久しい師の疎石を開山とし、自らを第二世として就任している。本図の賛は、その語録である『智覚普明国師語録』にも収められるものであるが、賛の末に「相国妙葩自題」とあり、相国寺住持就任以後の著賛であることが知られる。妙葩は翌嘉慶元年(一三八七)九月には鹿王院に移り、ほぼその一年後の嘉慶二年八月、同院に示寂していることから、至徳三年七月から翌年九月ころまでに制作期の限られる晩年の寿像であることがわかる点でも重要な作品といえよう。
 妙葩の像では、本図のほかに、遺像である明兆【みんちょう】筆の京都・光源院本(明治四十年五月二十七日指定、重文)がすでに指定されているほか、最晩年のものと思われる自賛がある個人蔵本(昭和十二年十二月二十四日認定、重要美術品)、「天龍妙葩題」とする自賛のある米国・バーネット・アンド・バートコレクション本があり、さらに京都・鹿王院には、年代不詳の自賛のある椅像、元の禅僧・楚石梵琦【そせきぼんき】(一二九六~一三七〇)の賛がある半身像、永徳三年(一三八三)に弟子の道隠が夢に見た妙葩の像を描いたという識語や妙葩の自賛などがあるいわゆる夢中像本の三本がまとまって伝来している。
 しかし、これらの作例のなかにあって、本図はその個性的な風貌を最もよく表現した作品といえよう。ほぼ全面にわたって裏彩色を施し、描線、文様描写いずれも繊細に描く入念な作画態度など、絵画作品としての完成度も最も高いものと考えられる。加えて保存状態もよく、著名な禅僧の優れた寿像として、指定のうえ保存を図るべきものと思われる。
 図上の賛文は次のとおりである。
 毀我太妍
 賛我太醜
 只有誑兒拳
 更無含血口
 相国妙葩自題
 (白文方印) 「印文不詳」 (白文方印) 「春屋」
関連情報
    (情報の有無)
  附指定 なし
  一つ書 なし
  添付ファイル なし