国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
絹本著色王昭君図〈菱田春草筆/〉
ふりがな
:
けんぽんちゃくしょくおうしょうくんず
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員数
:
1面
種別
:
絵画
国
:
日本
時代
:
明治
年代
:
1902
西暦
:
1902
作者
:
菱田春草
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
01831
枝番
:
00
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1982.06.05(昭和57.06.05)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
東京都
所在地
:
東京都千代田区北の丸公園3-1
保管施設の名称
:
東京国立近代美術館
所有者名
:
善寶寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
本図は明治三十五年(1902)三月、日本美術院・日本絵画協会連合の第十二回絵画共通会に出品され、銀牌第一席を受けた作品で、うつむいて歩む王昭君の背後に悲泣するふたりの侍女、やや間をおいて王昭君を見送る宮女たちの群像を描く。 明治三十年代、菱田春草(1874~1911)は、輪郭線をほとんど用いずに色調の変化のみで対象を表現する画法を試みた。この試みは、ただ光や空気を描く工夫であっただけではなく、既成の決まりきった描き方を排し、西洋絵画の画風を取り入れて新しい日本画を作ろうとする、きわめて前衛的な美術運動であった。本図は、春草のこの時期を代表する大作である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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解説文
本図は明治三十五年(1902)三月、日本美術院・日本絵画協会連合の第十二回絵画共通会に出品され、銀牌第一席を受けた作品で、うつむいて歩む王昭君の背後に悲泣するふたりの侍女、やや間をおいて王昭君を見送る宮女たちの群像を描く。 明治三十年代、菱田春草(1874~1911)は、輪郭線をほとんど用いずに色調の変化のみで対象を表現する画法を試みた。この試みは、ただ光や空気を描く工夫であっただけではなく、既成の決まりきった描き方を排し、西洋絵画の画風を取り入れて新しい日本画を作ろうとする、きわめて前衛的な美術運動であった。本図は、春草のこの時期を代表する大作である。
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詳細解説
王昭君は前漢の元帝の後宮のひとりであった。後宮が多いため、元帝はあらかじめ宮女の容姿を画工に描かせ、その画をもとに寵愛する宮女を選んでいた。宮女たちはみな画工に賄賂を贈って美しく描いてもらったが、王昭君のみはそうしなかったので、ついに召されることがなかった。そしてある日、漢を脅していた匈奴の王、呼韓邪単于が入朝して美女を要求したのに対し、帝は王昭君を与えることを約束してしまう。彼女が匈奴へ去らんとするときに召見し、帝は初めてその容貌が後宮に冠たる美しさであることを知る。帝は事情を調査し、画工全員を極刑に処したが、むろん王昭君がもどるはずもない。彼女は匈奴の王二代に妻として仕え、匈奴の地に没したという。 菱田春草(一八七四~一九一一)の「王昭君図」は、明治三十五年(一九〇二)三月、日本美術院・日本絵画協会連合の第十二回絵画共通会に出品され、銀牌第一席を受けた作品である。うつむいて歩む王昭君の背後に悲泣するふたりの侍女、やや間をおいて王昭君を見送る宮女たちの群像が描かれている。王昭君の孤独感を際立たせる巧みな構成である。顔料は多く白色の顔料(胡粉)をまぜて用い、また肉身や着衣には白色で隈取りを施しており、画面はかなり明るい。一方、類型的で生気のない女たちの表情が、主題にふさわしい沈鬱な気分を醸し出している。琵琶を抱える侍女など、いくらかぎこちない描写は見られるが、全体に漂う悲哀の情感を損なうほどのものではない。 明治三十年代、春草は、輪郭線をほとんど用いずに色調の変化のみで対象を表現する画法を試みた。この試みは、ただ光や空気を描く工夫であっただけではなく、既成の決まりきった描き方を排し、西洋絵画の画風を取り入れて新しい日本画を作ろうとする、きわめて前衛的な美術運動であった。世間からは「朦朧体」などと蔑称されたこのような実験を経て、「落葉図」(重要文化財、明治四十二年作)その他の不朽の名作が生まれたのである。「王昭君図」は、春草の朦朧体の時期を代表する大作ということができよう。 ちなみに、岡倉天心が反対派の策動によって東京美術学校長の職を追われたのは明治三十一年であった。本図の春草の寓意をみる意見もある。