国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
絹本著色釈迦十六善神像
ふりがな
:
けんぽんちゃくしょくしゃかじゅうろくぜんじんぞう
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員数
:
1幅
種別
:
絵画
国
:
日本
時代
:
平安
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
01892
枝番
:
00
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1989.06.12(平成1.06.12)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
兵庫県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
聖徳寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
釈迦十六善神像は大般若経転読のさいに本尊として祀られる。
本図は説法相の釈迦如来を中心に、その下方に文殊【もんじゆ】(如意)と普賢【ふけん】(合掌)、常啼【じようてい】(か)(柄香炉)と法涌【ほうゆう】(か)(合掌)の四菩薩、そして梵天【ぼんてん】(合掌)と帝釈天【たいしやくてん】(独鈷杵・宝鏡)の二天部を向かい合わせて配し、それら諸尊の左右に各八善神、都合十六善神をめぐらす。なお梵釈二天の傍の四善神は四天王(広目天【こうもくてん】-筆・巻紙、多聞天【たもんてん】-宝棒・宝塔、増長天【ぞうちようてん】-剣・独鈷杵、持国天【じこくてん】-火焔宝珠・剣)に比定される。釈迦如来の上方に珍しい雲蓋を置く。
本図は図像的には鎌倉時代以降に流布する玄奘三蔵【げんじようさんぞう】と深沙大将【じんじやたいしよう】を加えるものとは系統を異にし、また諸善神の像容は平安末期の図像、例えば実任本【じつにんぼん】般若十六善神像(長寛三年・一一六五)『別尊雑記【べつそんざつき】』巻第三十一所収十六善神像(承安年間・一一七一-七五)、七寺一切経唐櫃中蓋漆絵【ななつでらいつさいきようからびつなかぶたうるしえ】般若、釈迦十六善神像(治承二年・一一七八)、玄証本【げんしようぼん】十六善神像(治承三年)などに類似するものは見出しがたく、諸菩薩の面貌が応徳三年(一〇八六)の金剛峯寺仏涅槃図のそれを想起させるなど総じて古様である。
表現描写では、釈迦如来の赤袈裟が、地模様【じもよう】を七宝繋四目菱入【しつぼうつなぎよつめひしい】りの截金【きりかね】、主文を彩色の団花文【だんかもん】の組み合わせで厳飾せられていること、白布を表現するのに墨線をさけて白を塗るいわゆるほりぬりで墨線が強調されていることが特徴としてあげられる。制作年代は前者の特色をもつ大治二年(一一二七)の旧東寺本十二天像(京都国立博物館・国宝)よりは下り、後者の特色が顕著な仁平三年(一一五三)の持光寺本普賢延命像【じこうじほんふげんえんめいぞう】(国宝)と程遠からぬ平安末期と考えられる。
文献的には『兵範記【へいはんき】』保元三年(一一五八)七月廿五日条の「御仏三尺在十六善神巳上図絵一幅半云々」が近い記事となるが、本図はまさに平安後期の諸記録にみえる釈迦十六善神像を彷彿させるものがある。
本図は損傷によって当初の賦彩【ふさい】の美しさが損われているのは惜まれるが、その緊密な群像表現や形象の確かな把握と運筆によるすぐれた描写力は賞されてよく、釈迦十六善神像として平安時代末期にかかる遺例まれな一本としてはなはだ注目される。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
釈迦十六善神像は大般若経転読のさいに本尊として祀られる。 本図は説法相の釈迦如来を中心に、その下方に文殊【もんじゆ】(如意)と普賢【ふけん】(合掌)、常啼【じようてい】(か)(柄香炉)と法涌【ほうゆう】(か)(合掌)の四菩薩、そして梵天【ぼんてん】(合掌)と帝釈天【たいしやくてん】(独鈷杵・宝鏡)の二天部を向かい合わせて配し、それら諸尊の左右に各八善神、都合十六善神をめぐらす。なお梵釈二天の傍の四善神は四天王(広目天【こうもくてん】-筆・巻紙、多聞天【たもんてん】-宝棒・宝塔、増長天【ぞうちようてん】-剣・独鈷杵、持国天【じこくてん】-火焔宝珠・剣)に比定される。釈迦如来の上方に珍しい雲蓋を置く。 本図は図像的には鎌倉時代以降に流布する玄奘三蔵【げんじようさんぞう】と深沙大将【じんじやたいしよう】を加えるものとは系統を異にし、また諸善神の像容は平安末期の図像、例えば実任本【じつにんぼん】般若十六善神像(長寛三年・一一六五)『別尊雑記【べつそんざつき】』巻第三十一所収十六善神像(承安年間・一一七一-七五)、七寺一切経唐櫃中蓋漆絵【ななつでらいつさいきようからびつなかぶたうるしえ】般若、釈迦十六善神像(治承二年・一一七八)、玄証本【げんしようぼん】十六善神像(治承三年)などに類似するものは見出しがたく、諸菩薩の面貌が応徳三年(一〇八六)の金剛峯寺仏涅槃図のそれを想起させるなど総じて古様である。 表現描写では、釈迦如来の赤袈裟が、地模様【じもよう】を七宝繋四目菱入【しつぼうつなぎよつめひしい】りの截金【きりかね】、主文を彩色の団花文【だんかもん】の組み合わせで厳飾せられていること、白布を表現するのに墨線をさけて白を塗るいわゆるほりぬりで墨線が強調されていることが特徴としてあげられる。制作年代は前者の特色をもつ大治二年(一一二七)の旧東寺本十二天像(京都国立博物館・国宝)よりは下り、後者の特色が顕著な仁平三年(一一五三)の持光寺本普賢延命像【じこうじほんふげんえんめいぞう】(国宝)と程遠からぬ平安末期と考えられる。 文献的には『兵範記【へいはんき】』保元三年(一一五八)七月廿五日条の「御仏三尺在十六善神巳上図絵一幅半云々」が近い記事となるが、本図はまさに平安後期の諸記録にみえる釈迦十六善神像を彷彿させるものがある。 本図は損傷によって当初の賦彩【ふさい】の美しさが損われているのは惜まれるが、その緊密な群像表現や形象の確かな把握と運筆によるすぐれた描写力は賞されてよく、釈迦十六善神像として平安時代末期にかかる遺例まれな一本としてはなはだ注目される。