国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
絹本著色放牛光林像
ふりがな
:
けんぽんちゃくしょくほうぎゅうこうりんぞう
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員数
:
1幅
種別
:
絵画
国
:
日本
時代
:
南北朝
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
石室善玖の賛がある
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
01901
枝番
:
00
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1990.06.29(平成2.06.29)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
大分県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
龍祥寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
像主の牧牛光林(一二八九-一三七三)は、臨済宗黄龍派の禅僧である。その行歴は、必ずしも詳らかではないが、筑前に生まれ、筑前顕孝寺の闡提正具【せんだいしようぐ】に参じてその法嗣となり、以後、建長寺、天龍寺、南禅寺等の諸寺に歴住する一方、雪村友梅、中巌円月、義堂周信、春屋妙葩ら著名な禅僧と交流を持ったことが知られる。
画面上部の賛は、石室善玖(一二九四-一三八九)の手になるものである。善玖も同じく筑前に生まれ、筑前顕光寺、聖福寺、京都・万寿寺、天龍寺等に住した。書にすぐれ、その墨蹟は、現在二点が重要文化財に指定されている。
この両者は、ともに文保二年(一三一八)に入元しており、彼の地での交流は確かめることはできないが、早くもその頃から交わりのあった可能性がある。
本図の像容は、法衣の上に袈裟を着け、法衣の中で叉手して、向かってやや左を向いた半身像である。その画面形式、またわずかに肥痩のある衣文線や、鼻孔、耳孔の一部に濃墨を使う特徴のある簡潔で明瞭な描線、さらには全体に淡白な彩色など、本図の表現には無等周位筆の妙智院本夢窓疎石像(重要文化財)や、延文四年(一三五九)の自賛のある慈済院本無極志玄【むごくしげん】像などと共通する特色があり、本図もこの系統の作と考えられる。
光林自らが著賛していないことから、本図は遺像とみられ、したがってその制作期は、光林が入寂した応安六年(一三七三)から、賛者善玖の寂年である康応元年(一三八九)の間と考えられる。ただ、賛文において、善玖は「前巨峰法弟」と称している。善玖が「巨峰」すなわち建長寺に住したのは、光林の寂年までであり、二年後には武蔵に下り、平林寺の開山となっていることから、善玖がこの賛を著したのはこの間、すなわち光林の一周忌にあたる時であった可能性も考えられる。
なお、本図を伝える龍祥寺は、光林の開創になると伝える寺である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
像主の牧牛光林(一二八九-一三七三)は、臨済宗黄龍派の禅僧である。その行歴は、必ずしも詳らかではないが、筑前に生まれ、筑前顕孝寺の闡提正具【せんだいしようぐ】に参じてその法嗣となり、以後、建長寺、天龍寺、南禅寺等の諸寺に歴住する一方、雪村友梅、中巌円月、義堂周信、春屋妙葩ら著名な禅僧と交流を持ったことが知られる。 画面上部の賛は、石室善玖(一二九四-一三八九)の手になるものである。善玖も同じく筑前に生まれ、筑前顕光寺、聖福寺、京都・万寿寺、天龍寺等に住した。書にすぐれ、その墨蹟は、現在二点が重要文化財に指定されている。 この両者は、ともに文保二年(一三一八)に入元しており、彼の地での交流は確かめることはできないが、早くもその頃から交わりのあった可能性がある。 本図の像容は、法衣の上に袈裟を着け、法衣の中で叉手して、向かってやや左を向いた半身像である。その画面形式、またわずかに肥痩のある衣文線や、鼻孔、耳孔の一部に濃墨を使う特徴のある簡潔で明瞭な描線、さらには全体に淡白な彩色など、本図の表現には無等周位筆の妙智院本夢窓疎石像(重要文化財)や、延文四年(一三五九)の自賛のある慈済院本無極志玄【むごくしげん】像などと共通する特色があり、本図もこの系統の作と考えられる。 光林自らが著賛していないことから、本図は遺像とみられ、したがってその制作期は、光林が入寂した応安六年(一三七三)から、賛者善玖の寂年である康応元年(一三八九)の間と考えられる。ただ、賛文において、善玖は「前巨峰法弟」と称している。善玖が「巨峰」すなわち建長寺に住したのは、光林の寂年までであり、二年後には武蔵に下り、平林寺の開山となっていることから、善玖がこの賛を著したのはこの間、すなわち光林の一周忌にあたる時であった可能性も考えられる。 なお、本図を伝える龍祥寺は、光林の開創になると伝える寺である。