国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
絹本著色聖徳太子絵伝
ふりがな
:
けんぽんちゃくしょくしょうとくたいしえでん
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員数
:
4幅
種別
:
絵画
国
:
日本
時代
:
鎌倉
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
01918
枝番
:
00
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1993.06.10(平成5.06.10)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
東京都
所在地
:
東京都世田谷区岡本2-23-1
保管施設の名称
:
公益財団法人静嘉堂
所有者名
:
公益財団法人静嘉堂
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
聖徳太子伝の六十一事跡を四幅に分けて描いたものである。第一幅は衡山での前生譚から一五歳まで、第二幅は一六歳から二二歳まで、第三幅は二五歳から三五歳までと、四九歳の赤気の出現、および薨後諸王子の昇天、第四幅は三八歳から太子の葬送まで。各々の事跡場面の傍らには短冊形を設け、年齢や場面を説明する字句が墨書されるが、書き直したあとが認められるものもあり、場面と年齢が一致しないものも多い。
おおむね事跡の年代順に第一幅から第四幅までを割り当てるが、各幅内でのそれぞれの事跡場面の配置には年代にそった法則はない。東京国立博物館保管法隆寺献納絵殿旧障子絵(国宝昭和四〇・五・二九)が事跡場面を年代とかかわりなく自由に配していることから、配置法としては古様を残すものと考えられ、特に愛知・本證寺本(十幅、重要文化財 大正七・四・六)などの真宗系の絵伝が各幅とも下から上へ向かって事跡を年代順に規則正しく配するのとおおきく異なる。
各事跡場面の図様は南都松南院座の遠江法橋が元亨三年(一三二三)に描いた旨の裏書がある大阪・四天王寺本(六幅、重要文化財 昭和三七・六・二一)に共通するところがあり、またこれとほぼ同時期のものと思われる奈良・大蔵寺本(二幅)、および大蔵寺本とほとんど同一の図様で描かれるメトロポリタン美術館本(二幅)とはさらに多くの事跡場面においてきわめて近い図様を示す。描写においても頭部を小さく描く全体にすらりとした体型の特徴的な人物像など、本図は大蔵寺本やメトロポリタン美術館本に通ずるところが多い。
本図は旧箱蓋の墨書から、三河における真宗の拠点的寺院であった岡崎市の満性寺に伝来したものであることが知られるが、以上のような事跡場面の配置法や図様の共通性からみて、もともと真宗系寺院で制作されたものではなく、四天王寺本や大蔵寺本などと同じく南都の聖徳太子信仰のなかで制作されたものであり、制作期も鎌倉時代末期と考えられよう。保存状態もよく、謹厳な筆致で描かれた鎌倉時代の聖徳太子絵伝として貴重な一本である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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解説文
聖徳太子伝の六十一事跡を四幅に分けて描いたものである。第一幅は衡山での前生譚から一五歳まで、第二幅は一六歳から二二歳まで、第三幅は二五歳から三五歳までと、四九歳の赤気の出現、および薨後諸王子の昇天、第四幅は三八歳から太子の葬送まで。各々の事跡場面の傍らには短冊形を設け、年齢や場面を説明する字句が墨書されるが、書き直したあとが認められるものもあり、場面と年齢が一致しないものも多い。 おおむね事跡の年代順に第一幅から第四幅までを割り当てるが、各幅内でのそれぞれの事跡場面の配置には年代にそった法則はない。東京国立博物館保管法隆寺献納絵殿旧障子絵(国宝昭和四〇・五・二九)が事跡場面を年代とかかわりなく自由に配していることから、配置法としては古様を残すものと考えられ、特に愛知・本證寺本(十幅、重要文化財 大正七・四・六)などの真宗系の絵伝が各幅とも下から上へ向かって事跡を年代順に規則正しく配するのとおおきく異なる。 各事跡場面の図様は南都松南院座の遠江法橋が元亨三年(一三二三)に描いた旨の裏書がある大阪・四天王寺本(六幅、重要文化財 昭和三七・六・二一)に共通するところがあり、またこれとほぼ同時期のものと思われる奈良・大蔵寺本(二幅)、および大蔵寺本とほとんど同一の図様で描かれるメトロポリタン美術館本(二幅)とはさらに多くの事跡場面においてきわめて近い図様を示す。描写においても頭部を小さく描く全体にすらりとした体型の特徴的な人物像など、本図は大蔵寺本やメトロポリタン美術館本に通ずるところが多い。 本図は旧箱蓋の墨書から、三河における真宗の拠点的寺院であった岡崎市の満性寺に伝来したものであることが知られるが、以上のような事跡場面の配置法や図様の共通性からみて、もともと真宗系寺院で制作されたものではなく、四天王寺本や大蔵寺本などと同じく南都の聖徳太子信仰のなかで制作されたものであり、制作期も鎌倉時代末期と考えられよう。保存状態もよく、謹厳な筆致で描かれた鎌倉時代の聖徳太子絵伝として貴重な一本である。