国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
絹本墨画淡彩観瀑図〈狩野正信筆/〉
ふりがな
:
けんぽんぼくがたんさいかんばくず
解説表示▶
員数
:
1幅
種別
:
絵画
国
:
日本
時代
:
室町
年代
:
西暦
:
作者
:
狩野正信
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
横川景三の賛がある
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
01951
枝番
:
00
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1997.06.30(平成9.06.30)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
栃木県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
長林寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
掛幅装。画絹は一副一鋪。画面左端近くに垂直に落ちる瀑布を、右に大きな松樹を隔てて滝を望む入母屋造の亭を描き、画面下方には、高士と袋を担いで従う童子が亭に向かって歩む。瀑布や松樹、岩肌には藍、亭の木部や人物の顔には代赭、岩の点苔や笹には緑、童子の衣に赤などの色が部分的に塗られている。
画面右下の岩あたりに「正信」の白文壺印が捺され、画面上部には次の賛文がある。
山入烟雲旦暮渝、竹籠茅舎
路崎嶇、松間落雪瀑千尺、想
可銀河一滴無
金華景三 「景三」(朱文方印)
「横川」(白文方印)
本図は、ひとつの系譜をなすほどいくつかの遺品が残る観瀑図の一例に数えることができるものである。ただ、多くの観瀑図がやや遠ざかった視点から描かれているのに対して、滝に迫るような視点を用いており、見るものとの間に一本の松を配することによって、さらに空間を凝縮して、滝の雄大さを表現することに成功している。著しく丈の長い画幅を用いたこともそうした効果をねらったものであろう。
筆者である狩野正信【かのうまさのぶ】(一四三四-一五三〇)は、室町時代の狩野家の祖であり、絵画史上にも重要な人物である。その作品は、周茂叔愛蓮図が国宝に指定されているのをはじめ、布袋図・周麟賛(栗山家)、山水図(小西家)、山水図・対幅(文化庁)、および伝正信筆の竹石白鶴図屏風(真珠庵)が重要文化財に指定されている。
賛を書いた横川景三【おうせんけいざん】(一四二九-九三)は、山城の景徳寺、等持寺から相国寺、南褝寺などの住持をつとめた褝僧で、五山の文学僧として著名である。残念ながら、本図の賛はその詩文集である『京華集』に含まれていないため、賛が書かれた時期から本図の制作時期を特定することはできず、景三の没年が一応の下限であることがわかるにすぎないが、「正信」の印章が文化庁のそれと同じ形式であることや、画風に文化庁本ともども晦渋味があるところから、寛正四年(一四六三)から知られる正信の画業の、早い時期の作ではないかと推測される。
本図の表装の外題には「長尾憲長公寄進 長林寺什宝」とある。長林寺は文安五年(一四四八)に長尾景人が大見禅龍を開山に迎えて開いた足利長尾氏の菩提寺で、本図を寄進したという憲長【のりなが】(一五〇三-五〇)の画像も所蔵されている。正信の子、元信の祖父にあたる朗舜の妻である祐幸善尼は足利の人であり、また祖父朗舜の姉または妹である理哲尼は長尾小五郎の妻であるという記事が、『本化別頭仏祖統記』にあることから、狩野家が足利長尾氏となんらかの所縁があることが従来より指摘されてきた。本図の外題はこれを裏づける史料のひとつとして重視される。
日本絵画史上重要な人物である狩野正信の長期にわたる画業の全体を考えるとき、本図は貴重な作品といえるであろう。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
掛幅装。画絹は一副一鋪。画面左端近くに垂直に落ちる瀑布を、右に大きな松樹を隔てて滝を望む入母屋造の亭を描き、画面下方には、高士と袋を担いで従う童子が亭に向かって歩む。瀑布や松樹、岩肌には藍、亭の木部や人物の顔には代赭、岩の点苔や笹には緑、童子の衣に赤などの色が部分的に塗られている。 画面右下の岩あたりに「正信」の白文壺印が捺され、画面上部には次の賛文がある。 山入烟雲旦暮渝、竹籠茅舎 路崎嶇、松間落雪瀑千尺、想 可銀河一滴無 金華景三 「景三」(朱文方印) 「横川」(白文方印) 本図は、ひとつの系譜をなすほどいくつかの遺品が残る観瀑図の一例に数えることができるものである。ただ、多くの観瀑図がやや遠ざかった視点から描かれているのに対して、滝に迫るような視点を用いており、見るものとの間に一本の松を配することによって、さらに空間を凝縮して、滝の雄大さを表現することに成功している。著しく丈の長い画幅を用いたこともそうした効果をねらったものであろう。 筆者である狩野正信【かのうまさのぶ】(一四三四-一五三〇)は、室町時代の狩野家の祖であり、絵画史上にも重要な人物である。その作品は、周茂叔愛蓮図が国宝に指定されているのをはじめ、布袋図・周麟賛(栗山家)、山水図(小西家)、山水図・対幅(文化庁)、および伝正信筆の竹石白鶴図屏風(真珠庵)が重要文化財に指定されている。 賛を書いた横川景三【おうせんけいざん】(一四二九-九三)は、山城の景徳寺、等持寺から相国寺、南褝寺などの住持をつとめた褝僧で、五山の文学僧として著名である。残念ながら、本図の賛はその詩文集である『京華集』に含まれていないため、賛が書かれた時期から本図の制作時期を特定することはできず、景三の没年が一応の下限であることがわかるにすぎないが、「正信」の印章が文化庁のそれと同じ形式であることや、画風に文化庁本ともども晦渋味があるところから、寛正四年(一四六三)から知られる正信の画業の、早い時期の作ではないかと推測される。 本図の表装の外題には「長尾憲長公寄進 長林寺什宝」とある。長林寺は文安五年(一四四八)に長尾景人が大見禅龍を開山に迎えて開いた足利長尾氏の菩提寺で、本図を寄進したという憲長【のりなが】(一五〇三-五〇)の画像も所蔵されている。正信の子、元信の祖父にあたる朗舜の妻である祐幸善尼は足利の人であり、また祖父朗舜の姉または妹である理哲尼は長尾小五郎の妻であるという記事が、『本化別頭仏祖統記』にあることから、狩野家が足利長尾氏となんらかの所縁があることが従来より指摘されてきた。本図の外題はこれを裏づける史料のひとつとして重視される。 日本絵画史上重要な人物である狩野正信の長期にわたる画業の全体を考えるとき、本図は貴重な作品といえるであろう。