国宝・重要文化財(美術工芸品)
 主情報
名称 紙本著色遊行上人絵伝〈巻第七/〉
ふりがな しほんちゃくしょくゆぎょうしょうにんえでん
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員数 1巻
種別 絵画
日本
時代 南北朝
年代
西暦
作者
寸法・重量
品質・形状
ト書
画賛・奥書・銘文等
伝来・その他参考となるべき事項
指定番号(登録番号) 01959
枝番 00
国宝・重文区分 重要文化財
重文指定年月日 1997.06.30(平成9.06.30)
国宝指定年月日
追加年月日
所在都道府県 大分県
所在地
保管施設の名称
所有者名 永福寺
管理団体・管理責任者名

解説文:
 遊行上人絵伝は、全一〇巻の前半四巻に時宗の開祖一遍上人の伝記を、後半六巻に第二祖他阿【たあ】上人真教の伝記を描くものをいい、一二巻からなる一遍上人絵伝(一遍聖絵)と区別するため、この名あるいは宗俊本の名で呼ばれる。巻第十の詞書中に嘉元元年(一三〇三)の記述があること、京都・金蓮寺本に徳治二年(一三〇七)の奥書(の写し)があることなどから、原本の成立は十四世紀のごく初期であったろうことがうかがわれる。
 この永福寺本は現在は巻第七のみの残巻である。冒頭第一段の詞書約三行分を欠くほかは、第七巻に収められるべき全六段の詞、絵を備える。巻子装で、現状に錯簡はない。本紙の紙継ぎ幅は一定せず、絵と詞は紙を替えている。内容は第一段、他阿上人が武州村岡で臨終を覚悟し、時衆に教戒を書くところ、第二段、越中国放生津で南条九郎という人が他阿上人に念仏について問い、念仏者になるところ、第三段、越後国の池の某という人、病の折りに他阿上人の弟子に看病される夢を見て回復するところ、第四段、越後国の碩学契範円観房という人が他阿上人に仏法について問い、帰依するところ、第五段、信州善光寺に参籠し、日中の念仏を御前の舞台で行うところ、第六段、甲斐国中河にて人びとに和歌を書き与えるところ、からなる。
 現在このほかに十数本の遊行上人絵伝が知られているが、巻第七を欠く本のうちに画風等からみて、本絵巻と本来一具であったと思われるものはない。本絵巻の図様と多くの共通性がみられるものには、巻第三と巻第七の分が部分的に残る東京国立博物館の二巻本(田中親美氏寄贈本)がある。この東京国立博物館二巻本の巻第三の現在残っている部分の図様と、京都・金光寺本(重文)の同じ箇所の図様にはまた共通するものが多く、本絵巻はこの東京国立博物館二巻本や、金光寺本などの系統に属するものとみられる。
 これらのほかに、伝狩野宗秀筆の山形・光明寺本や、兵庫・真光寺本、広島・常称寺本などが重要文化財にすでに指定されているが、光明寺本は明治時代に焼失したいわゆる藤沢道場古縁起をかなり忠実に写したもので、他とは転写系統を異にし、推測される原本の系統から派生した系統のものと想像される。真光寺本や常称寺本も他本に比べてそれぞれ独自の図様がみられるものである。これに対して永福寺本および東京国立博物館本、金光寺本などは、それぞれの図様の細部に共通するところが多く、描写態度にも几帳面なところがみられるところから、現在は失われた原本の図様を比較的よく伝えるものとも想像される。ただ、永福寺本に描かれる人物の数は東京国立博物館二巻本に比べてや少ないところがあり、転写の過程で省略された部分があったものと思われる。
 顔料の剥落がややあるが、俗人の衣装などには鮮やかな彩色のあとが残り、文様の描写も丁寧になされている。人物は簡略ながらやわらかで的確な筆致で描かれており、顔貌はそれぞれ個性と表情が描き分けられ、衣服にも柔軟な質感が表現されている。描写の性格からみて、制作期は南北朝時代ころと考えられる。
 本絵巻は一巻のみを残すものとはいえ、作風の優れた佳品のひとつといえるであろう。加えて、時衆の足跡の残る九州地方に残る本格的な遺品としても貴重である。
関連情報
    (情報の有無)
  附指定 なし
  一つ書 なし
  添付ファイル なし