国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
木造千手観音立像(鞘仏)
ふりがな
:
解説表示▶
員数
:
1躯
種別
:
彫刻
国
:
日本
時代
:
奈良
年代
:
鞘仏 南北朝
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
03414
枝番
:
02
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1989.06.12(平成1.06.12)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
和歌山県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
道成寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
道成寺本堂内内陣に秘仏として祀られる木造千手観音立像(鞘仏)とその像内に胎内仏として奉籠されていた木心乾漆千手観音立像である。
胎内仏は昭和六十二年度からの本堂解体修理時の秘仏千手の移安の際に発見されたもので、大略、樟の一材を木心とし、膝から脛部に檜の別一材を矧足して像の概形を荒彫し、木屎漆を盛上げて塑形しているが、現在、木心の朽損甚大で面部のすべてと躰部正面の大方が失われている。
しかし、像背面部は髻先から裳裾に到る大略を残しており、幅広い背中から引き締まった胴部、逞しい張をみせる腰へと続く豊かでのびのびした造形には、奈良時代の聖林寺の木心乾漆十一面観音立像(国宝)や愛媛・庄部落の木造菩薩立像(重文)に近いものがある。
檜の別材製の脇手もその半近くを残しており、体部に取付けるための長大な〓、上・前膊を接合する相欠き矧、太い釘の使用など、古式であり、頭髪や衣部に厚く木屎漆を用いながら、その背面を省略しているあたり、奈良時代も後半の製作と考えられる。
近時、道成寺境内の発掘調査が行われ、複廊をそなえた八世紀の伽藍の存在が確認され、寺伝にいう大宝元年(七〇一)文武天皇勅願寺はともかく、その創建の古さが実証されたが、本像も本寺創建期に遡る遺例と考えられよう。
本堂内内陣に北面して祀られる故に、「後立本尊」あるいは「北向観音」と呼ばれる木造千手観音立像は、この木心乾漆像をその胎内に納めるためのいわゆる鞘仏として造立されたものであることがその構造上からも明らかで、すなわち、躰部は背面および両側材を凹形に矧寄せたのち、正面材を蓋板状にあてるという独特の木寄せを示している。このような特異な構造の故であろう、躰躯は角張って、衣文の彫りも浅く形式的に整えられているが、頭部は鞘仏の制約を離れて堅実にまとめられ、面長な相貌に南北朝時代の特色があらわれている。
現存本堂は、板壁の墨書銘や鬼瓦の寄進銘から正平十二年(一三五七)から天授四年(一三七八)の間とされているが、北向観音もこの間の製作とみて矛盾がなく、本寺創建期に遡る木心乾漆像を伝世せしめた鞘仏の大作としてみのがせない。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
道成寺本堂内内陣に秘仏として祀られる木造千手観音立像(鞘仏)とその像内に胎内仏として奉籠されていた木心乾漆千手観音立像である。 胎内仏は昭和六十二年度からの本堂解体修理時の秘仏千手の移安の際に発見されたもので、大略、樟の一材を木心とし、膝から脛部に檜の別一材を矧足して像の概形を荒彫し、木屎漆を盛上げて塑形しているが、現在、木心の朽損甚大で面部のすべてと躰部正面の大方が失われている。 しかし、像背面部は髻先から裳裾に到る大略を残しており、幅広い背中から引き締まった胴部、逞しい張をみせる腰へと続く豊かでのびのびした造形には、奈良時代の聖林寺の木心乾漆十一面観音立像(国宝)や愛媛・庄部落の木造菩薩立像(重文)に近いものがある。 檜の別材製の脇手もその半近くを残しており、体部に取付けるための長大な〓、上・前膊を接合する相欠き矧、太い釘の使用など、古式であり、頭髪や衣部に厚く木屎漆を用いながら、その背面を省略しているあたり、奈良時代も後半の製作と考えられる。 近時、道成寺境内の発掘調査が行われ、複廊をそなえた八世紀の伽藍の存在が確認され、寺伝にいう大宝元年(七〇一)文武天皇勅願寺はともかく、その創建の古さが実証されたが、本像も本寺創建期に遡る遺例と考えられよう。 本堂内内陣に北面して祀られる故に、「後立本尊」あるいは「北向観音」と呼ばれる木造千手観音立像は、この木心乾漆像をその胎内に納めるためのいわゆる鞘仏として造立されたものであることがその構造上からも明らかで、すなわち、躰部は背面および両側材を凹形に矧寄せたのち、正面材を蓋板状にあてるという独特の木寄せを示している。このような特異な構造の故であろう、躰躯は角張って、衣文の彫りも浅く形式的に整えられているが、頭部は鞘仏の制約を離れて堅実にまとめられ、面長な相貌に南北朝時代の特色があらわれている。 現存本堂は、板壁の墨書銘や鬼瓦の寄進銘から正平十二年(一三五七)から天授四年(一三七八)の間とされているが、北向観音もこの間の製作とみて矛盾がなく、本寺創建期に遡る木心乾漆像を伝世せしめた鞘仏の大作としてみのがせない。