国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
般若心経(源頼家筆)
ふりがな
:
はんにゃしんぎょう
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員数
:
1巻
種別
:
書跡・典籍
国
:
日本
時代
:
鎌倉
年代
:
西暦
:
作者
:
源頼家
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
02486
枝番
:
00
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1994.06.28(平成6.06.28)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
静岡県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
三嶋大社
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
体裁は焦茶金裂箔砂子銀野毛散雲霞引旧表紙を装した巻子本で、料紙は楮紙を軽く打紙して淡墨界を施している。本文は「般若波羅蜜多心経」の首題以下、全一七行にやや縦画を長めにした謹直な書風をもって一筆に書写し、ついで余白二行分を隔て、本文と同筆にて「此心経一巻為病脳祈願染愚筆謹拝書/奉納三嶋社者也、/建仁三季八月十日 従二位源朝臣頼家」の奥書がみえる。これにより本経が病悩祈願のため、将軍源頼家自らが筆を執り、頼朝ゆかりの三嶋社に奉納したことが知られる。尾題もなく、一行ごとに一六から一七・八字に不揃いに書写されたその体裁は、手本をもとに書写したものとは思われず、暢びやかにも整ったその書風は、二代将軍頼家の貴種としての教養の程を偲ばせている。
北条氏によって将軍職を追われた頼家は、以後、頼朝・実朝と異なり、鎌倉時代を通じ幕政史上に顧みられることは少なかった。そのため関係史料として残るものも少なく、発給文書として確認できるものも僅かに一四通を数えるに過ぎない。書状としては七月四日付仁和寺文書、「正治二年」五月十九日付保阪潤治氏旧蔵文書の両通が知られるのみである。これらはいずれも案文で、頼家の自筆としてはこの般若心経が唯一のものであり、『吾妻鏡』にみる頼家病悩の記事を証する遺品としても貴重である。
巻末の識語以下によって、一時巷間に流失した本経が、享保八年(一七二三)五月、亀井重矩の手によって三嶋社別当愛染院に奉納され、さらに廃仏後の明治二十九年、官幣大社三嶋社に納められて現在に伝わった経緯が知られる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
体裁は焦茶金裂箔砂子銀野毛散雲霞引旧表紙を装した巻子本で、料紙は楮紙を軽く打紙して淡墨界を施している。本文は「般若波羅蜜多心経」の首題以下、全一七行にやや縦画を長めにした謹直な書風をもって一筆に書写し、ついで余白二行分を隔て、本文と同筆にて「此心経一巻為病脳祈願染愚筆謹拝書/奉納三嶋社者也、/建仁三季八月十日 従二位源朝臣頼家」の奥書がみえる。これにより本経が病悩祈願のため、将軍源頼家自らが筆を執り、頼朝ゆかりの三嶋社に奉納したことが知られる。尾題もなく、一行ごとに一六から一七・八字に不揃いに書写されたその体裁は、手本をもとに書写したものとは思われず、暢びやかにも整ったその書風は、二代将軍頼家の貴種としての教養の程を偲ばせている。 北条氏によって将軍職を追われた頼家は、以後、頼朝・実朝と異なり、鎌倉時代を通じ幕政史上に顧みられることは少なかった。そのため関係史料として残るものも少なく、発給文書として確認できるものも僅かに一四通を数えるに過ぎない。書状としては七月四日付仁和寺文書、「正治二年」五月十九日付保阪潤治氏旧蔵文書の両通が知られるのみである。これらはいずれも案文で、頼家の自筆としてはこの般若心経が唯一のものであり、『吾妻鏡』にみる頼家病悩の記事を証する遺品としても貴重である。 巻末の識語以下によって、一時巷間に流失した本経が、享保八年(一七二三)五月、亀井重矩の手によって三嶋社別当愛染院に奉納され、さらに廃仏後の明治二十九年、官幣大社三嶋社に納められて現在に伝わった経緯が知られる。