国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
松尾社一切経
ふりがな
:
まつのおしゃいっさいきょう
解説表示▶
員数
:
3545巻
種別
:
書跡・典籍
国
:
日本
時代
:
平安
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
02501
枝番
:
00
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1997.06.30(平成9.06.30)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
妙蓮寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
『松尾社一切経』は、永久三年(一一一五)ころ、松尾神社の神主をつとめた秦親任をはじめとする秦氏の一族が発願し、二三年の歳月を経て、保延四年(一一三八)ころ、その子秦頼親のときに完成した一切経である。
体裁は一部折本装に改められたものを除き、すべて巻子装で、茶表紙、朱頂軸など原装を存する。本文料紙は黄蘗染あるいは丁字染の楮紙を打紙し、淡墨界を施して用い、本文はおよそ一行一七字で書写される。本経の書写については、筆跡が多様であり、本経が秦氏一族を中心に京都周辺の僧俗を含めた数多の人びとによって書写が行われたことを示している。
各巻末の書写・校合・読誦等に関する奥書は内容が豊富で、とくに『大方広仏華厳経』など計四七巻の奥書には、秦親任を長とする秦氏一族の名が詳しく記されており、当時の秦氏の族的結合を検討する際の好史料である。また校合は、保延五年(一一三九)から康治二年(一一四三)にかけて延暦寺や三井寺などの僧が奈良朝写経の梵釈寺本等を用いて厳密に行っており、本紙の継目表裏や紙背に平安時代末期の「松尾社/一切経」朱印や花押、あるいは「松尾社」などの墨書がみえることは、本書の書写校合の経過を考えるうえにも注目される。
これらの経巻は「松尾宮読経所」において読誦等に用いられていたと考えられるが、伝来の過程で欠失した部分は他経をもって補われている。たとえば『大般若経』は、数種類の写経からなるが、うち一九巻には、紺紙の表紙と見返に金銀泥や金箔・彩色などで描かれた経意絵があり、十一世紀にさかのぼる作例としても貴重である。さらに松尾社の西方に接し、秦氏一族の勢力下にあったとみられる妙法寺において僧良慶が願主となり、平治元年(一一五九)から永万元年(一一六五)ころにかけて書写した経巻が少なくとも五二巻を数えるほか、「地蔵院一切経」「南都善光院一切経」の印文のある経巻なども含まれており、平安時代から室町時代にかけて一切経の読誦にともなう経巻の補充が盛んに行われていたことが知られる。
この松尾社一切経は、嘉永七年(一八五四)三月、松尾社の「読経所」の閉鎖後、その所在が不明となっていたが、平成五年八月、立正大学中尾尭氏の調査により、妙蓮寺の宝蔵でまとまって発見され、本経が安政四年(一八五七)ころ、妙蓮寺の有力信徒によって寄進されたことなども明らかになった。
このように本経は当初のままの姿を伝えた十二世紀の一切経遺品として、当時の京都周辺で行われた一切経書写事業の実態を併せ伝えて価値が高い。
なお、附とした経箱は、ヒノキ材を用い、内側に黒漆を塗った被蓋箱三八合で、嘉暦二年(一三二七)の虫払の貼紙墨書や、文安四年(一四四七)の修理銘等から、鎌倉時代後期に製作され、本経巻を納めた経箱と認められるもので、本経の伝来を知るうえでも重要であり、併せてその保存を図ることとしたい。
関連情報
(情報の有無)
附指定
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
『松尾社一切経』は、永久三年(一一一五)ころ、松尾神社の神主をつとめた秦親任をはじめとする秦氏の一族が発願し、二三年の歳月を経て、保延四年(一一三八)ころ、その子秦頼親のときに完成した一切経である。 体裁は一部折本装に改められたものを除き、すべて巻子装で、茶表紙、朱頂軸など原装を存する。本文料紙は黄蘗染あるいは丁字染の楮紙を打紙し、淡墨界を施して用い、本文はおよそ一行一七字で書写される。本経の書写については、筆跡が多様であり、本経が秦氏一族を中心に京都周辺の僧俗を含めた数多の人びとによって書写が行われたことを示している。 各巻末の書写・校合・読誦等に関する奥書は内容が豊富で、とくに『大方広仏華厳経』など計四七巻の奥書には、秦親任を長とする秦氏一族の名が詳しく記されており、当時の秦氏の族的結合を検討する際の好史料である。また校合は、保延五年(一一三九)から康治二年(一一四三)にかけて延暦寺や三井寺などの僧が奈良朝写経の梵釈寺本等を用いて厳密に行っており、本紙の継目表裏や紙背に平安時代末期の「松尾社/一切経」朱印や花押、あるいは「松尾社」などの墨書がみえることは、本書の書写校合の経過を考えるうえにも注目される。 これらの経巻は「松尾宮読経所」において読誦等に用いられていたと考えられるが、伝来の過程で欠失した部分は他経をもって補われている。たとえば『大般若経』は、数種類の写経からなるが、うち一九巻には、紺紙の表紙と見返に金銀泥や金箔・彩色などで描かれた経意絵があり、十一世紀にさかのぼる作例としても貴重である。さらに松尾社の西方に接し、秦氏一族の勢力下にあったとみられる妙法寺において僧良慶が願主となり、平治元年(一一五九)から永万元年(一一六五)ころにかけて書写した経巻が少なくとも五二巻を数えるほか、「地蔵院一切経」「南都善光院一切経」の印文のある経巻なども含まれており、平安時代から室町時代にかけて一切経の読誦にともなう経巻の補充が盛んに行われていたことが知られる。 この松尾社一切経は、嘉永七年(一八五四)三月、松尾社の「読経所」の閉鎖後、その所在が不明となっていたが、平成五年八月、立正大学中尾尭氏の調査により、妙蓮寺の宝蔵でまとまって発見され、本経が安政四年(一八五七)ころ、妙蓮寺の有力信徒によって寄進されたことなども明らかになった。 このように本経は当初のままの姿を伝えた十二世紀の一切経遺品として、当時の京都周辺で行われた一切経書写事業の実態を併せ伝えて価値が高い。 なお、附とした経箱は、ヒノキ材を用い、内側に黒漆を塗った被蓋箱三八合で、嘉暦二年(一三二七)の虫払の貼紙墨書や、文安四年(一四四七)の修理銘等から、鎌倉時代後期に製作され、本経巻を納めた経箱と認められるもので、本経の伝来を知るうえでも重要であり、併せてその保存を図ることとしたい。
関連情報
附指定
経箱
関連情報
附指定
附名称
:
経箱
附員数
:
三十八合
附ト書
: