国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
近江甲賀の前挽鋸製造用具及び製品
ふりがな
:
おうみこうかのまえびきのこせいぞうようぐおよびせいひん
近江甲賀の前挽鋸製造用具及び製品
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員数
:
1274点 附418点
種別
:
生産、生業に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
内訳:製造用具945点、製品329点、附仕入・販売関係資料418点
指定番号
:
229
指定年月日
:
2015.03.02(平成27.03.02)
追加年月日
:
指定基準1
:
(二)生産、生業に用いられるもの 例えば、農具、漁猟具、工匠用具、紡織用具、作業場等
指定基準2
:
(四)技術的特色を示すもの
指定基準3
:
(六)職能の様相を示すもの
所在都道府県
:
滋賀県
所在地
:
滋賀県甲賀市甲南町葛木925番地
保管施設の名称
:
甲南ふれあいの館
所有者名
:
甲賀市
管理団体・管理責任者名
:
近江甲賀の前挽鋸製造用具及び製品
解説文:
詳細解説
滋賀県の甲賀地方で造られ、全国的に普及した「前挽鋸」と呼ばれる大型の製材用鋸の製造用具と製品の収集である。前挽鋸は、鋸の原版を造る「黒打ち」、表面を平らに仕上げる「透き」、歯の先端に焼きを入れる「歯焼き」の三工程から造られた。本件は、各工程で使われた用具と製品を中心に、検品・計測用具、販売用具、職人の信仰用具などから構成されている。そのほか前挽鋸の流通を示す各地からの注文書などの記録類を附としている。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
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近江甲賀の前挽鋸製造用具及び製品
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近江甲賀の前挽鋸製造用具及び製品
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解説文
滋賀県の甲賀地方で造られ、全国的に普及した「前挽鋸」と呼ばれる大型の製材用鋸の製造用具と製品の収集である。前挽鋸は、鋸の原版を造る「黒打ち」、表面を平らに仕上げる「透き」、歯の先端に焼きを入れる「歯焼き」の三工程から造られた。本件は、各工程で使われた用具と製品を中心に、検品・計測用具、販売用具、職人の信仰用具などから構成されている。そのほか前挽鋸の流通を示す各地からの注文書などの記録類を附としている。
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詳細解説
近江甲賀の前挽鋸製造用具及び製品は、滋賀県の甲賀地方で造られた前挽鋸と呼ばれる製材用鋸の製造用具と製品の収集である。 前挽鋸は、木材を縦に切断し、柱や板に加工する大型の縦挽鋸で、大鋸とも呼ばれ、鋸身が幅広く、歯道に対し首部分が角度をつけて取り付けられている点に特徴がある。 甲賀地方は、近江の南部に位置し、奈良時代には、南都の大寺に建築用材を供給した官営の杣山である甲賀杣が置かれるなど、古くからの良材の産地であり、中世から近世にかけては、幕府の命による公用の作事に活躍した優秀な木挽きや大工の集団がいたことが知られている。こうした林業の盛んな地域性を背景に、江戸時代中期には前挽鋸の製造が行われており、当地には、寛延3年(1750)に、近世における前挽鋸の中心的な産地である京都から許可を得て、製造をはじめたことを伝える文書が残されている。その後、明治・大正期には、前挽鋸の一大産地として発展し、戦後は機械製材の普及によって需要が減少するものの、昭和30年代まで製造が続けられた。その最盛期は、明治40年代の初めで、年間に3万枚近い数が製造されている。 本件は、甲賀地方の中でも、前挽鋸の製造所があった杣川流域の甲賀市水口町貴生川地区(牛飼、三本柳、杣中)から甲南町寺庄地区(森尻、深川、深川市場、野田、寺庄)にかけての地域において、甲賀市が旧甲南町の頃から長年にわたり収集を重ねてきたもので、甲南ふれあいの館に保管されている。前挽鋸の製造所は、マエビキヤと呼ばれ、鋸の製造工場として多くの職人を抱えるとともに、親方が販売を手掛ける商店でもあった。マエビキヤの周辺には、製造の下請けをする職人が集住し、地域をあげて前挽鋸の製造に従事していた。収集された資料は、有力なマエビキヤであった八里平右衛門家(森尻)、今村庄九郎家(深川)、利田仁右衛門家(深川)、森田庄之助家(野田)で使われていたもので、「黒打ち」、「透き」、「歯焼き」の三つの工程で使用された各種の用具と製品を中心に、仕上げ用具、検品・計測・梱包用具、販売用具、信仰用具などから構成される。 前挽鋸の製造は、クロと呼ばれる鋸の原板を造る「黒打ち」からはじまる。古くは和鋼を鍛錬して製造していたが、収集の用具は、明治時代の洋鋼普及後の製造工程で主に使用されたものである。鋼板を鋸の形状に切断する型取りに用いたオオヅチやキリオトシタガネ、背抜きと称してオオヅチで叩き薄くした背の部分を切り落とすのに用いたゼチメン、鋸の歯を落とす目抜きに用いたハガタとハオトシタガネ、鋸の首部分に製造地や商標を刻んだ各種のコクインなどがある。 「透き」は、鋸の形状に仕上がったクロの歪を直し、表面を平らにする工程で、大まかな歪をとる荒叩きに用いたマルヅチやヒラヅチ、鋸全体に適度な張りを入れる腰入れと微妙な歪をとる小直しに用いたテチガイヅチ、鋸の首部分を立て掛けて歪を確認したヒズミダイ、錆を取るために鋸の表面に硫酸を塗ったワラフデや粗い砂をかけて磨くのに用いたワラタワシ、透き上げといって最終的に鋸の表面を平滑に仕上げるのに用いたスキダイやアテイタ、カンナがある。透きの工程は、鋸身が幅広い前挽鋸の製造工程の中でも特に熟練した技術が必要とされ、透き目が平行になり、鈍い銀色に輝くように仕上がるのが理想とされた。そのため、繰り返し行われる「透き」の作業でカンナの歯は磨滅が早く、歯研ぎの用具としてカンナトギバサミとトオケ、トイシが使われた。最後に仕上げ直しといって、親方が歪の検査に用いたナオシイタがある。これで表面を擦り、木の油分が鋸に付着し、変色する具合で表面の出来を確認した。 「歯焼き」は、鋸の歯の先端部分に焼きを入れる工程で、焼き入れ前に歯の高さを揃えたテンバソロエヤスリやヒラヤスリ、歯幅や歯底を揃えるのに用いたインチヤスリやサンカクヤスリ、焼き入れに用いたフイゴとヤキバサミ、ソエバサミ、焼いた歯先を冷却するのに用いたミズオケ、焼き入れの具合を確認するのに用いたダイヒッキリヤスリなどがある。歯焼きが終わると仕上げの工程となる。ハンマルヤスリやボウヤスリで形状を整え、さらにアサリワケヅチで歯が交互に外側に向かってわずかに開くようアサリ分けをした。最後にダイヒッキリヤスリなどを用いて目立てをし、完成となった。 前挽鋸が完成すると親方による検品が行われ、計測した後に、梱包、出荷となる。検品・計測用具にはサオバカリやフンドウ、モノサシ、梱包用具には、鋸を包んだアブラガミやドンゴロス(麻袋)のほか、形状に合わせてヌキイタと呼ばれる板を当て、発送用に梱包した状態の前挽鋸も収集されている。販売用具には、店先に掲げられていた看板や額、鋸に貼って品質を保証した保険証や検査証などがある。また、前挽鋸の製造に従事した職人たちは、共通して京都の伏見稲荷を崇敬し、特に稲荷山にある諸社のうちの御劔社を信仰しており、製造所の敷地や屋内に祀られていた稲荷神を祀る小祠や神棚を信仰用具として収集している。 製品には、並型と呼ばれる典型的な前挽鋸をはじめ、北海型と呼ばれ、北海道で主に使われた大型の前挽鋸、木材の芯を切るのに使われた首長鋸、船の甲板製材に使われた船大工鋸などがある。このほかに「透き」をかける工程以前の鋸の原板であるクロを半製品として含めている。 なお、甲賀では、他地域からの注文に応じて鋸を製造していたことから、甲賀産前挽鋸の流通を示す全国各地からの注文書などの商用書簡や顧客名簿が残されており、本体資料を補完する記録類として、仕入や売上の帳簿や台帳類と併せて附としている。その販路は、北海道から九州、さらには台湾や朝鮮半島にまで及んでいた。