国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
陸前高田の漁撈用具
ふりがな
:
りくぜんたかたのぎょろうようぐ
陸前高田の漁撈用具(全体)
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
員数
:
3,028点
種別
:
生産、生業に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
267
指定年月日
:
2023.03.22(令和5.03.22)
追加年月日
:
指定基準1
:
(二)生産、生業に用いられるもの 例えば、農具、漁猟具、工匠用具、紡織用具、作業場等
指定基準2
:
(三)地域的特色を示すもの
指定基準3
:
所在都道府県
:
岩手県
所在地
:
岩手県陸前高田市
保管施設の名称
:
陸前高田市立博物館
所有者名
:
陸前高田市
管理団体・管理責任者名
:
陸前高田の漁撈用具(全体)
解説文:
詳細解説
陸前高田の漁撈用具は、我が国の代表的なリアス式海岸である三陸海岸の南部、陸前高田市の沿岸地域において魚介類の捕獲に使われた用具である。当地では、季節や海域に応じた様々な漁撈活動が営まれ、入り江や岩礁の多い沿岸でのアワビやウニ、海藻類などの磯物採取、マグロやカツオ、サケなどの大型の回遊魚を対象とした沖合での釣漁や網漁、
また、穏やかな海を利用した広田湾での海苔養殖などが行われてきた。このような漁撈活動に使われた用具が網羅的に収集されており、磯物採取用具、陥穽漁用具、突漁用具、釣漁用具、網漁用具、養殖用具、運搬・製造加工用具、船関係用具、仕事着、信仰・儀礼用具などから構成されている。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
陸前高田の漁撈用具(全体)
陸前高田の漁撈用具(磯物採取用具)
陸前高田の漁撈用具(網漁用具・釣漁用具)
写真一覧
陸前高田の漁撈用具(全体)
写真一覧
陸前高田の漁撈用具(磯物採取用具)
写真一覧
陸前高田の漁撈用具(網漁用具・釣漁用具)
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
陸前高田の漁撈用具は、我が国の代表的なリアス式海岸である三陸海岸の南部、陸前高田市の沿岸地域において魚介類の捕獲に使われた用具である。当地では、季節や海域に応じた様々な漁撈活動が営まれ、入り江や岩礁の多い沿岸でのアワビやウニ、海藻類などの磯物採取、マグロやカツオ、サケなどの大型の回遊魚を対象とした沖合での釣漁や網漁、 また、穏やかな海を利用した広田湾での海苔養殖などが行われてきた。このような漁撈活動に使われた用具が網羅的に収集されており、磯物採取用具、陥穽漁用具、突漁用具、釣漁用具、網漁用具、養殖用具、運搬・製造加工用具、船関係用具、仕事着、信仰・儀礼用具などから構成されている。
詳細解説▶
詳細解説
陸前高田の漁撈用具は、我が国の代表的なリアス式海岸である岩手県陸前高田市の沿岸地域において、魚介類の捕獲に使用された用具の収集である。 陸前高田市は、岩手県の南東部、太平洋岸に面して位置する。青森県から宮城県に及ぶ長い海岸線を持つ三陸海岸の中では、その南寄りの陸前海岸北部に当たり、広田半島と唐桑半島に挟まれた広田湾奥部の平野に市街地が広がる。生業は半農半漁であるが、海に面した地域が多く、天然の良港にも恵まれ、古くから漁撈に依存した暮らしが営まれてきた。三陸地方の海域は、北から来る親潮と津軽暖流、南から来る黒潮が合流する潮目にあたり、豊富で多様な魚介類が生息する。市域の沿岸や沖合でも、季節や海域に応じた様々な漁撈活動がみられ、大小の入り江や岩礁が点在する広田半島とその周辺の沿岸では、貝類や海藻類の採取をはじめ、小魚や甲殻類を対象とした陥穽漁や釣漁などが、一方、沖合では、海流に乗ってやってくる大型の回遊魚の群れを対象とした釣漁や網漁が盛んに行われてきた。また、半島の西部は広田湾が広がり、気仙川が流れ込む河口部とその周辺は砂浜が形成されており、穏やかな海を利用した海苔養殖や地引網漁なども行われてきた。 本件は、陸前高田市が昭和34年(1959)の陸前高田市立博物館の開館当初から、長年にわたり収集してきたもので、平成7年(1995)度からは民俗資料収集整理事業として継続的に収集を進め、市域の漁撈用具の保存に力を注いできた。そして、平成20年には収集した漁撈用具2,045点が国の登録有形民俗文化財となったが、その後に起きた東日本大震災による津波で大きな被害を受けた。これに対し、陸前高田市では、震災直後から資料の救出を行い、その修復と再整理、追加収集に努めてきた。令和4年(2022)には、それらの作業が完了するとともに、陸前高田市立博物館も再建され、現在、漁撈用具は同博物館に保管され、その一部は展示公開されている。 漁撈用具は、磯物採取用具、陥穽漁用具、突漁用具、釣漁用具、網漁用具、養殖用具、運搬・製造加工用具、船関係用具、仕事着、信仰・儀礼用具などから構成される。製作・使用年代は、近世末期を上限とし、大正期から昭和初期にかけて使用されていたものが中心となる。磯物採取用具は、主に岩礁地帯で、アワビやホヤなどの貝類、ワカメやコンブなどの海藻類、ウニやナマコなどを採取したものである。アワビカギやウニカギなど先端を爪状に曲げた各種の鉤類やワカメを刈り取るワカメガマ、放射状の長い爪を持つコンブ採取用のジャマカ、海中を透視した箱型のミズカガミなどで、鉤類には、ホデと呼ばれる弾力のある竹製の棒やソウと呼ばれる長い竿を繋いで使用した。ミズカガミは、当地の漁師が盛岡市の中津川で使われていたものを磯物採取に導入し、三陸一帯に普及した。陥穽漁用具は、竹製で円錐型をしたアナゴ用のハムドウ、カニやドンコ、カジカなどの小魚を捕獲した各種のカゴ、素焼きのタコツボなどで、湾内でも海底が砂地や泥地の場所に仕掛けられた。突漁用具は、金属の突起を先端に装着したもので、カジキやマンボウなど表層にいる大型の魚種を捕った矢印状の先端を持つモリと、アイナメやカレイなど海底にいる小型の魚種を捕った三又や二又の先端を持つヤスがある。 釣漁用具は、釣竿と糸巻、釣針や擬餌針などの仕掛けで、沿岸でのイカ釣漁やタコ釣漁、沖合でのカツオの一本釣漁、テンテンと呼ばれるヒラメ釣漁、マグロやサケを主に対象とした延縄漁などに使われたものがある。カツオの一本釣漁は、紀州から唐桑半島を経て近世後期には当地に伝播しており、天秤型の仕掛けと擬餌針を用いたイカ釣漁は、近世後期に佐渡で考案され、津軽海峡を経由し、三陸海岸を南下して当地に伝わった。テンテンは、仕掛けが深場で安定するよう糸の所々に小さな錘を付けて行う手釣りで、明治期にこの地域に出漁して来た徳島県の漁師が伝えた漁法である。網漁用具は、刺し網や掬い網、曳き網、定置網などの各種の網と浮子類、錘類である。当地の網漁は、沖合を中心に比較的小型の網を用いた漁が主流で、刺し網では、低層に仕掛けてアイナメやカレイなどを捕ったネアミ、表層で潮に流しながらマスを捕ったナガシアミ、底刺し網の一種でサメを捕ったサメアミなどがある。掬い網は、柄の付いた網で、海面に群れるシラスなどの小魚を捕ったイドコスクイ、捕獲した魚を網箱などに移すのに使った中継ぎ用のタモやサッテがある。曳き網には、広田湾や河口付近の砂地で使われたイワシ用のジビキアミ、ワカサギ用のトアミなどがある。定置網には、回遊してくるマグロを主に対象としたワラアミと呼ばれる大網などがある。 このような天然の漁場での漁撈に対し、広田湾では養殖も行われてきた。その主要なものがノリで、東京湾で始まった養殖の技術が大正期に当地に伝わっている。育成用のノリアミや採取用のノリキリバサミ、ノリ漉きに用いたノリワクやノリゴモなどがあり、そのほかにホタテやワカメの養殖に使った用具がある。また、水揚げした魚介類を運んだハマオケやイタモッコなどの運搬用具、魚油や煮干しなどの製造に用いたイワシガマやホシカゴなどの製造加工用具も収集されている。 船関係用具は、磯で使われたカッコと呼ばれる小型の木造船と操船に用いたカイやイカリ、船上で使用した羅針盤や照明具、船箪笥、弁当箱などで、船の製造に用いられた船大工用具も一式収集されている。このほかに、防寒用や雨除け用の仕事着として、木綿地の着物に刺し子を施したジブ、アマモを材料にして編まれたモグミノなどがあり、また、豊漁と海上安全の祈願を中心に海で生きる漁師たちの信仰をうかがうことのできる資料として、船内に祀った船の守護神であるフナダマサマ、大漁を祝って仕立てられたカンバンと呼ばれる半纏、正月や豊漁時に船上に掲げた大漁旗なども収集されている。