国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要有形民俗文化財
主情報
名称
:
南部七戸見町観音堂庶民信仰資料
ふりがな
:
なんぶしちのへみるまちかんのんどうしょみんしんこうしりょう
南部七戸見町観音堂庶民信仰資料
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員数
:
359点
種別
:
信仰に用いられるもの
年代
:
その他参考となるべき事項
:
内訳:絵馬185点 羽子板14点 読経札113点 称名念仏札2点 納経札2点 巡礼札等8点
棟札14点 その他21点
指定番号
:
00183
指定年月日
:
1990.03.29(平成2.03.29)
追加年月日
:
指定基準1
:
(六)信仰に用いられるもの 例えば、祭祀(し)具、法会具、奉納物、偶像類、呪(じゆ)術用具、社祠(し)等
指定基準2
:
(二)時代的特色を示すもの
指定基準3
:
(三)地域的特色を示すもの
所在都道府県
:
青森県
所在地
:
上北郡七戸町字荒熊内67-94
保管施設の名称
:
七戸町立鷹山宇一記念館
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
七戸町
南部七戸見町観音堂庶民信仰資料
解説文:
詳細解説
我が国には、古くから絵馬・祈願札あるいは寄進札などを有名社寺や身近の社寺に奉納し、神仏の加護にすがって生業の繁昌や人生の無事息災などを全うしようとする習俗が全国的に見られる。
南部七戸見町観音堂は、応永3年(1396)当時の地頭であった南部政光により創建されたと伝えられ、後には奥州糠部郡(現青森県南部地方から岩手県北部にかけての地域)三十三か所巡礼の十三番札所ともなった。
本資料には、観音堂に奉納された絵馬、羽子板、読経札、称名念仏札、納経札などと、参詣や寄進に関係する巡礼札・棟札などが収集されており、なかには近世初頭の紀年銘をもつものも多い。
内訳は、絵馬の点数が最も多く、185点を収集している。図柄はほとんどが馬で、左向きに見返り風に描き、山形の板の左右両端に縦線を引いて柱に見立てた、いわゆる「藤右衛門の小絵馬」として知られる小絵馬が多い。奉納者の範囲は、現在の、七戸とその周辺の上北地方に及ぶ。奉納者の内訳としては所給人が多く、次いで農民、町人などの順になっており、各層にわたって奉納されたことが理解できる。
このほか羽子板(人形絵)、読経札、称名念仏札、順礼札、棟札などがある。
関連情報
(情報の有無)
附
なし
添付ファイル
なし
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南部七戸見町観音堂庶民信仰資料
参考:観音堂
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南部七戸見町観音堂庶民信仰資料
写真一覧
参考:観音堂
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解説文
我が国には、古くから絵馬・祈願札あるいは寄進札などを有名社寺や身近の社寺に奉納し、神仏の加護にすがって生業の繁昌や人生の無事息災などを全うしようとする習俗が全国的に見られる。 南部七戸見町観音堂は、応永3年(1396)当時の地頭であった南部政光により創建されたと伝えられ、後には奥州糠部郡(現青森県南部地方から岩手県北部にかけての地域)三十三か所巡礼の十三番札所ともなった。 本資料には、観音堂に奉納された絵馬、羽子板、読経札、称名念仏札、納経札などと、参詣や寄進に関係する巡礼札・棟札などが収集されており、なかには近世初頭の紀年銘をもつものも多い。 内訳は、絵馬の点数が最も多く、185点を収集している。図柄はほとんどが馬で、左向きに見返り風に描き、山形の板の左右両端に縦線を引いて柱に見立てた、いわゆる「藤右衛門の小絵馬」として知られる小絵馬が多い。奉納者の範囲は、現在の、七戸とその周辺の上北地方に及ぶ。奉納者の内訳としては所給人が多く、次いで農民、町人などの順になっており、各層にわたって奉納されたことが理解できる。 このほか羽子板(人形絵)、読経札、称名念仏札、順礼札、棟札などがある。
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詳細解説
我が国には、古くから絵馬・祈願札あるいは寄進札などを有名社寺や身近の社寺に奉納し、神仏の加護にすがって生業の繁昌や人生の無事息災などを全うしようとする習俗が全国的に見られる。この習俗は現在にも継承されており、社寺に参拝して絵馬を買い、厄除け、交通安全、合格祈願など思い思いの祈願をこめて奉納することが行われている。 聖観音を本尊として祀る南部七戸見町観音堂は、応永3年(1396)、当時の地頭であった南部政光(建武3年(1336)~応永26年(1419))によって創建されたと伝えられており、後には、観光上人(生没年不詳)による奥州糠部郡(現青森県南部地方から岩手県北部にかけての地域)三十三か所巡礼の十三番札所でもあった由緒がある。 この庶民信仰資料には、その観音堂に奉納された絵馬、羽子板、読経札、称名念仏札、納経札などと、参詣や寄進に関係する巡礼札・棟札などが収集されている。そのなかには近世初頭の紀年銘のあるものも多くみられる。 内訳は、絵馬の点数が最も多く、185点を収集している。そのうち、紀年銘から奉納年の特定できるものが130点あり、万治2年(1659)から慶応元年(1865)までに奉納されたことが確認できる。絵馬の図柄はほとんどが馬で、彩色は白馬・赤馬・黒馬など多彩であり、なかには飾り馬、群馬を描いたものもある。構図は、馬を左向きに見返り風に描き、山形の板の左右両端に縦線を引いて柱に見立て、下方の一端に斜線を入れて床板を表わし、上方の隅の2本の斜線で梁を描くなど、いわゆる「藤右衛門の小絵馬」として知られるつなぎ馬・飾り馬など一定形式の小絵馬が多い。奉納者の範囲は、現在の、七戸とその周辺の上北地方に及ぶ。奉納者の内訳としては所給人が多く、次いで農民、町人などの順になっており、各層にわたって奉納されたことが理解できる。絵馬に墨書された願意の表現は抽象的であるが、観音堂の縁日に因む正月17日、7月10日と記されたものが多く、また、裏面に「叶【かのう】」の一字が大書されている絵馬が全体の約4割を占めているところに特色がある。 また、羽子板(人形絵)は、14点を収集している。堂内の壁などに残るはがし跡から、かつては数十枚が奉納されていたものと推定されている。万治4年(1661)正月17日奉納の墨書のあるもの1点を含んでおり、その裏面にはサギチョウ(左義長)風の図が描かれ、かつ「叶」と記されていることから、奉納には絵馬同様の願意がこめられていたものと理解できる。また、現在のものと形状を異にする羽子板があり、上下の幅がほぼ同じで厚さが薄く、柄のつけ根の部分などに切り込みがあったり、板面に果実や鳥などを彫刻してあるものが含まれている。 読経札は、正保元年(1644)から宝暦12年(1762)までに納札されたものがほとんどである。武運長久、家内安全、諸願成就の祈願をこめて納められたものである。木の札に墨書したものが多いが、他には漆を塗ったものや刻字したものもある。観音経33巻を読誦し、かつ正月17日と墨書されたものが注目される。 称名念仏札は、仏の名を念じて何らかの祈願のために奉納したものである。延宝4年(1676)のものには、裏面に「叶」の一字が記されている。 納経札は、経文の一部を板に書いて納めたものである。寛文元年(1661)のものには諸願成就のために般若心経が記されており、これにも裏面に「叶」とある。 順礼札等には紀年銘のあるもの8点が含まれている。観光上人のものには永正九年(1512)の紀年銘があり、御詠歌が記されている。その他、遊行上人四十三世に関わる貞享4年(1687)から同五十四世の寛政4年(1792)までのものなど、賦算と思われるものが含まれる。 棟札は、見町観音堂の歴史を知る上で貴重な資料である。棟札14点中、13点には応永3年から慶応4年(1868)にかけての紀年銘がある。その寄進者名は個人や村中などとなっており、篤信者の広がりを理解できる。 以上の物件の他に、観音堂と陰刻した掲額(墨書なし)、延宝4年(1676)の紀年銘のある三重塔を点描したもの、宝暦4年(1754)の仁王像画板などを収集している。 この庶民信仰資料は、南部七戸見町観音堂をめぐる創建当初から江戸時代末までの庶民信仰の実態と推移を理解する上で貴重であるばかりでなく、絵馬や羽子板などを奉納する慣習についての地域的特色のある信仰用具類の集成としても重要である。